青島と言えば、よく知られている青島ビールや、海辺などの避暑地、そして緑に映えている洋風の建物などを連想するだろう。しかし今、話題になっているのは、青島が2008年北京オリンピックのヨットレース開催地になり、それによって地元にどんな影響があるかということだ。
ヨットレースの開催地
「青島は2008年のオリンピックで、メイン会場の北京以外で、金メダルが多く出る場所になります。オリンピックのヨットレースの準備のために青島は、10年ほど前から発展してきました」と、青島市政府のスポークスマンである王海涛氏は言う。
青島は黄海に面して位置し、海上スポーツの面では特に恵まれた条件と伝統がある。1999年、北京がオリンピックの開催地に立候補した時、青島はヨットレースの候補都市として名乗りを上げた。2001年7月13日、オリンピック開催都市に北京が選ばれ、青島も第29回のオリンピックと第13回パラリンピックのヨットレースの開催地に決まった。
青島オリンピックヨットセンターは、青島市東部の新しい地域である浮山湾の近くのすばらしい風景の場所にある。今、建設中や建設予定の場所には、大きな試合が出来るバースが4カ所ある。もともとこの場所にあった北海造船所は移転し、浮山湾と現在のバースは、競技場や練習場の建設に最適だ。
真夏といっても青島の早朝は涼しく、花や緑に覆われている町は、朝の日光を浴びてすがすがしい。海辺に通じている青島オリンピックセンターの前にある大通りの堰には、風力発電機が並び旗が風にはためいている。
オリンピックの相乗効果
2001年の北京オリンピックが決まってから、多くの国のヨットチームや、科学研究員たちが次々と青島にやって来た。また国際ヨット競技連盟も青島に関心を寄せ、昨年からこの地ではヨットの国際大会も開かれている。
ヨットセンターと大通りを挟んだ向こう側にあるのは、屋上部分が出来上がったオリンピック選手村で、ハイアールグループの内装チームが構内の内装工事を行っていた。燕島国際マンションはセンターの左側にある。海辺の通りの両側には、商業的開発された高級オフィスビルの基礎工事がすでに完成していた。青島市政府は300億元以上を投資して、都市のインフラ施設や交通運輸、情報化の改善を行ってきた。
青島市政府の統計資料によると、2001年のオリンピック開催が決まってから、青島市のGDPの年間平均成長率は15%を超えた。2010年までに4倍増だった目標は、2年から3年ほど繰り上げて達成し、世界の中級レベルの収入水準に達しつつある。オリンピックの相乗効果で、青島を訪れる海外の観光客は毎年68万4000人増やしており、2010年には130万人になる予想だ。そうなれば第3次産業は飛躍的に発展するだろう。
発展を続ける青島
計画によると、オリンピックのヨットレースが終わったあとの青島オリンピックヨットセンターは、旅行やレジャー、フィットネス、娯楽センターとして開放される。またオリンピック選手村は5つ星の高級ホテル、メディアセンターは700バースの大規模な遊覧船クラブ、選手センターはスポーツレジャーの場所、行政や試合管理センターは、国家航海スポーツ学校や海上訓練センターになる予定だ。その時に青島は、世界的にも知られる国際的な「ヨットの都」となるだろう。
北京オリンピックのパートナーの青島市にとって、オリンピックのヨット試合を主催するのは、発展するまたとないチャンスである。青島市の臧愛民副市長は、「社会科学院の研究結果によると、オリンピックのヨットレースの開催は、青島市全体の発展に相乗効果をもたらすという分析結果が出ています」と話す。急速に発展を進めている青島は、北京や上海などの直轄市などとともに、全国で経済活力のあるベストテンに入っている。
「中国画報」より2007年9月4日