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japanese.china.org.cn |24. 07. 2023

活況!中国の模型市場 中日交流の新たな目玉

タグ: 中日交流
人民中国  |  2023-07-24

王焱=文・写真

21回中国国際模型博覧会(ホビー・エクスポ・チャイナ)が4月21~23日、北京展覧館で開かれた。主催者によると、日本の多くの有名な模型メーカーを含め、国内外の企業218社が参加。3日間の会期中、1500以上の新商品が発表されたほか、延べ6万8000人の参観者があり、現場での成約額は約15億元に達した。 

中国国際模型博覧会は2001年にスタートし、20年以上にわたって中国の模型産業の大きな発展ぶりを示すとともに、日本の模型業界との友好交流の物語もつづってきた。 


模型愛好者が博覧会を提唱 

模型とおもちゃの違いは何か? 双葉電子テクノロジー研究開発社(北京)の霍保京董事副総経理は、おもちゃは普通、ある年齢の段階で遊ぶだけだが、模型はしばしばその人の一生に影響を与える。「小さい頃に一緒に模型飛行機で遊んでいた友人が、大きくなって航空業界に進んだという例を数多く知っている」と霍氏は語る。 

霍氏は中国国際模型博覧会の「生みの親」の一人だ。1960年代生まれ、小学生のときに模型飛行機遊びに夢中になった。その後、模型飛行機のプロモデラーになった。模型飛行機の愛好者たちは90年代後半、模型博覧会の開催を企画。模型飛行機のアピール活動の場を広げ、市場も開拓しようとした。当時、体育総局で働いていた霍氏は、多くの人から頼まれて連絡と調整に奔走。最終的に、国家体育総局の航空無線模型活動管理センターと中国対外経済企業協力協会、北方展覧展示会社などにより、2001年10月に北京で第1回の博覧会を開催するまでにこぎつけた。 

当時、中国ではラジコン模型はまだ知られていなかった。だから北京展覧館を開催地に選んだ理由の一つは、北京動物園に隣接しているという地の利を生かし参観者を増やすためだった、と霍氏は打ち明ける。展覧会への参加企業を招待するために、霍氏らは中国の電子産業が最も密集するに行き、一社また一社と企業に足を運んだ。その頃、すでに多くの企業が海外からの注文を受けて模型の受託製造を始めていたので、博覧会の話を聞いた各社は積極的に出展に応募し、さらに海外からの注文を増やしたいと願っていた――と霍氏は振り返った。 

模型飛行機の愛好者たちも、海外での競技会に参加する機会を利用して、各国の愛好家たちや企業にアピールした。霍氏は、日本で模型飛行機の競技会に参加した際、双葉電子など数社の日本の模型メーカーに展覧会開催の考えを説明した。これらの日本の会社は非常に良くサポートをしてくれた、と霍氏は言う。その頃、双葉電子は中国に代理店がなかったが、初めて日本の本社から北京に出展した際、当時のF3A(ラジコン曲技模型飛行機)の世界チャンピオン・成家儀一さんを派遣して、デモ飛行を披露してくれた。 

おかげで第1回博覧会は予想をはるかに超えた盛況ぶりで、業界の参観者だけでも数千人が訪れた。霍氏は、「参観者は見たい商品が見られ、メーカーも購買側との商談が成功し、中国企業は願っていた注文を獲得し、海外の企業も中国市場の可能性に気付いたのです」と語る。双葉電子は初出展の翌年、北京双葉電子社を設立し、以後は博覧会に出展する常連メーカーとなった。 


道でショベルカーを見掛けたら、つい何度も見返してしまうことはないだろうか。博覧会でもラジコン・ショベルカーは大人と子どもの両方をとりこにした


手本は「静岡ホビーショー」 

中国国際模型博覧会は08年から北京瑞陽展覧展示会社が受け継ぎ、市場ベースの運営を行っている。同社の経営者で博覧会の組織委員会事務局長も務める黄智勇氏によると、その頃、上海や深圳などでも次々に各種の模型展が開かれ始めたという。ブランドの長期的な成長を考え、中国国際模型博覧会は展示エリアの面積を当初の3000〜4000平方㍍から徐々に増やして2万平方㍍とし、規模でトップになると同時に、単位面積当たりのコストも削減した。 

ところが、12年以降、欧州の不況の影響で、ラジコン模型の海外注文は大幅に減少した。出展企業もプラモデル展示エリアの拡大を求めた。黄氏と霍氏は、プラモデル分野をよく知らなかったので、二人は15年、日本最大級の模型展示会「静岡ホビーショー」を見学しに行った。黄氏は当時のことをこう語った。「さすがに静岡は世界最大の模型産業の地です。観光客でも有名な模型会社タミヤの本社を見学することができるし、大ブランドの、規格化された模型のデザイン・製造がどんなものかを自分の目で見ることができました。静岡ホビーショーは、大勢の模型ファンが集って熱気にあふれています。模型会社を興したい人や模型ショーを開催したい人は、静岡で多くのことを学べます」 

中国国際模型博覧会は、16年からプラモデル展示エリアを設けた。日本の大ブランドの模型商品も博覧会にお目見えしたが、黄氏は決して満足していなかった。「これらのほとんどは中小の代理店の商品展示で、ブースには同時にいくつもの代理ブランドが展示されていました。しかし、日本の模型企業が作ったブランド商品の常設展示はずっと不足していました」と説明した。 


日本のプラモデル会社を招待 

黄氏は、日本のプラモデル分野の有名企業が博覧会に参加し、ブランドエリアで商品を展示することを大変望んでいる。しかし、その願いはなかなか実現しそうにない。日本企業はたいてい業界の協力団体に加わることを望み、協会が決めたことに従って集団的に行動する。ラジコン模型企業のほとんどは、日本ラジコン模型工業会に参加しており、プラモデル企業は日本プラモデル工業協同組合に入っている。過去の多くの国際競技会での交流を通して、黄氏らは日本のラジコン模型工業会と親交を深めて来た。関連企業は中国に対して非常に友好的で、博覧会が拡大していく際には大いに協力してくれた。しかし、プラモデル分野は異なる。両国の愛好家たちの少ない直接交流だけで、日本プラモデル工業協同組合は、中国のプラモデル業界やその市場に対し慎重な態度を見せていた。 

困ったときは旧友が助けてくれる――。中国国際模型博覧会は17年、日本ラジコン模型工業会と日本科学模型安全委員会、雑誌『ラジコン技術』などのラジコン模型業界の多くの団体が積極的に間に入ってくれたおかげで、日本プラモデル工業協同組合の代表を中国の博覧会の見学とイベントに招待することに成功した。 

黄氏は当時を振り返り、こう語った。「私たち博覧会側は誠意を示すため、同博の組織委が全ての接待を受け持ち、日本側と中国企業との交流をセッティングしました。このときは、われわれ中国のスケールメリットを打ち出しました。業界の各分野の製造工場でも、販売代理店でも、日本側は全て博覧会の現場で見つけることができました」 

日本プラモデル工業協同組合は18、19年に、黄氏と霍氏らを2度にわたって正式に日本に招待した。二人は東京で開かれた全日本模型ホビーショーや静岡ホビーショーを見学。また、多くの日本プラモデル業界のトップ企業とも話し合うことができた。そのときの日本プラモデル工業協同組合の国際業務担当者も19年に中国に招かれ、同年に開かれた第20回中国模型博覧会に再び出席した。黄氏はその当時、順調にいけば翌20年に静岡のプラモデル企業が結成する一団が中国の博覧会に登場し、これは両国プラモデル業界の一大イベントになる――と楽観視していた。 

ところが、である。 


利益を生む国際的な交流 

20年初め、新型コロナが中日間の往来を遮断した。中国国際模型博覧会も3年の開催中止を余儀なくされた。それでも今年初め、21回目となる同博覧会の開催が決まった後、黄氏はすぐさま日本プラモデル工業協同組合に同博覧会への招待状を送った。しかし、すでに同組合理事長のスケジュールは埋まっていて、出席はかなわなかった。だが、その理事長の返事には、「模型の魅力の幅広い普及を願う同じ展覧会の主催者としまして、第21回中国国際模型博覧会のご成功を心からお祈り申し上げます」と書かれていた。 

黄氏はこう指摘する。「日本は模型のデザイン・製造の先進国で、長年にわたって世界の模型カルチャーの発展を推進する重要な役割を果たしてきました。日本の企業と商品は私たちの博覧会に欠かせません。私たちはこれからも、より多くの日本の模型メーカーが中国の博覧会にブランド商品を出展してくれるよう心を込めて招き続けます。また一方で、中国の模型企業がそろって日本の模型展に出展し、交流することも希望しています」 

黄氏は、模型産業の国境を超えた交流は各方面に利益をもたらす、と考えている。01~08年に中国国際模型博覧会に出展した中国の模型企業は、ほとんどが受託製造企業だったという。しかしその後、多くの模型企業が自社ブランドを立ち上げ始めた。「それまでの模型産業の分業では、中国企業はパーツ製造が中心でしたが、今はターボジェット・ベクトルエンジンやリモコンのような多くのハイテク製品の分野で、トップではなくとも、世界の上位10社に中国企業が7、8社も食い込めるようになりました」と話す。また、「以前に模型博覧会を見学する外国企業は、ほとんどが供給メーカーを探すためでした。しかし後には、多くの外国企業が技術交流に博覧会にやって来て、研究・開発の提携先を探すようになりました」と黄氏は打ち明けた。 

こうした流れの一方で、中国の模型市場は拡大し続けた。黄氏によると、第1回博覧会の開催時と比べると、多くの中国人の収入レベルは十数倍、数十倍に増えている。また、ハイエンドの飛行機模型を含めて、ほとんどの模型商品は技術の進歩により価格が下がっているという。さらに、アートトイやフィギュアなどをオンラインで製造・提供する会社・個人(IP)の活用から生まれたアート模型商品の流行に、多くの女性が魅せられ、模型の消費者となった。 

新型コロナの流行前、電動RCレーシングカーやドローンレースの世界選手権、世界模型ジェット機大会など、世界レベルの大会が中国で開かれるようになり、興味を持つ層が広がった。感染症は依然としてマクロ経済に影響を与えているが、模型の消費市場は、むしろ人々の在宅時間が増えたことにより大幅に成長している。 

最後に、黄氏は希望を込めてこう締めくくった。「中国の模型消費市場は、相変わらず未開拓のブルーオーシャンです。私たちは現在の産業と市場のニーズに対応し、引き続き各国の出展企業に最高のサービスを提供するとともに、模型カルチャー分野の幅広い普及と国際交流を推し進めていきます。


劉慈欣の小説を映画化した『流転の地球』をモチーフにしたウエアラブル周辺製品は、今回の博覧会で大きな人気を集めた


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