今年の春節には、天津歌舞劇院がウィーンのゴールデナー・ザールで「トリ年中国民族音楽会」を催した。同劇院の高久林院長は、今回の公演について、「中国の民族音楽がヨーロッパの主流音楽マーケットで新たな天地を切り開くことができて、われわれ音楽の仕事に携わる者にとって誇りを感じることである」と語った。
1998年に中国民族楽団がウィーンのゴールデナー・ザールのステージに初めてデビューし、その後の8年間に、中国の民族音楽は世界各地にますますその舞台を広がっていった。「きれいなジャスミンの花」のメロディに合わせた鮮明な中国の特色を持つ踊りがアテネ五輪の閉幕式で演じられたこと、「女子十二楽坊」が東南アジアにおいて広く好評を博していること、中国各地の民族楽団が中国、ひいては世界のヒノキ舞台で活躍していることなどは、中国の民族音楽が復興の道を歩みだしたことを物語っている。
前世紀の80年代から90年初期にかけて、中国の民族音楽は香港・台湾地区のポピュラーミュージックや西洋音楽の衝撃によって一時期衰退し、興行市場にも大幅な縮小が見られ、多くの民族音楽の演奏家たちは西洋楽器の演奏を余儀なくされた。
しかし、現在では、民族音楽の人気がますます高まっている。全国には数十の民族楽団が存在し、ほとんどの省・直轄市には民族楽団がある。天津歌舞劇院の民族楽団を例にすると、毎月10回ぐらいの公演があり、海外公演は年平均5、6回で、アメリカ、イタリア、ドイツなど40カ国・地域で公演したことがある。
伝統的な民族音楽に現代的な音楽の要素を取り入れ、日本などの国でヒットした女子十二楽坊は、中国民族音楽の発展のために新たなヒントを提示するものであった。民族音楽家たちは、伝統を受け継ぐことと刷新とのバランスを上手に維持し、演奏の形式と方法はいかに刷新しても、民族音楽の中国的な特色を保つべきであると主張している。
「チャイナネット」2005年2月21日