「九・一八」歴史博物館は11月2日、日本が中国侵略戦争時に遺した神社の74年前に作成された石碑を収蔵したと公開した。この石碑は、瀋陽の建築現場から発見されたものだ。瀋陽日報が伝えた。
この石碑が発掘されたのは皇姑区北行一帯で、石碑の高さは約150cm、幅は約30cm、厚さは約15cm。石碑の表面には「八幡大神」の字が刻印されており、側面には「昭和九年十月十日」「旧名藤原、改姓土井、蔵吉建設」などの字が入っている。もう一つの側面には「皇太子殿下御誕生記念」の文字が刻まれている。
専門家によると、これは当時、瀋陽にあった日本の神社が、日本の皇太子誕生を記念して立てられた石碑である。昭和9年とは1934年で、その前に誕生した皇太子とは、今の明仁天皇、つまり1933年12月23日出生の、当時の裕仁天皇の子となる。日本皇室は長い間男の子に恵まれず、裕仁天皇も7人の子どものうち男は2人のみで、1989年に即位した明仁天皇は、その長男にあたる。明仁天皇の弟の正仁親王は1935年11月28日生まれのため、石碑に刻まれた皇太子とは明仁天皇のことに間違いはない。
石碑の表面に刻まれた「八幡大神」は仁徳天皇、つまり日本の第16代天皇(313~399年)のことを指す。日本にある多くの神社は「八幡大神」を奉っている。「九・一八」歴史博物館の専門家は、発掘されたこの石碑はとても歴史的価値のあるもので、中国侵略戦争時の文物だ、と述べている。(編集WM)
「人民網日本語版」2008年11月04日
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