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清の皇帝 大晦日は何を食べていた?
発信時間: 2009-01-24 | チャイナネット

春節(旧正月)は漢族にとって最も重要な祝日。旧暦大晦日の晩餐は一家が集い、幸せであることの表れである。それでは、満州族であった清の皇帝たちは春節を祝ったのだろうか? 王室では何を食べていたのだろうか?

清の皇帝たちは寒さを好み、暑さを嫌ったため、一年の大半を「暢春園」や「円明園」などの園林で過ごしていたが、春節の時期には宮殿に戻って年を越した。一般に、皇帝は旧暦12月26日に「封筆」「封璽」、つまり御用納めをし、元日の大典で新たに「開筆」「開璽」を行った。

皇帝一家は普段はほとんど食事をともにすることがなかったが、春節の時期だけは妃たちも伴食することが許された。皇帝は皇后や妃嬪たちと重華宮で朝食をとった。朝食のメニューはキビ飯、ギョーザ、もちなどで、10品から20品は用意された。大晦日の晩餐は午後4時からだったが、実際には正午から前菜や点心がテーブルに並べられていた。晩餐は保和殿または乾清宮で行われ、皇帝は一人で一つのテーブルについた。「金龍大宴桌」と呼ばれるそのテーブルには、金の刺繍が施されたテーブルクロスが掛けられ、「金龍大宴桌」と皇帝の「宝座」の間には長テーブルが置かれていた。料理はすべて「金龍大宴桌」に並べられており、皇帝が食べる際に御付きの者が長テーブルに持ってくるのである。

大晦日の御馳走のために準備される食材は満州族の伝統的な食べ物である。清の宮殿の食事記録を見ると、乾隆49年(1784)の皇帝の宴席料理で使われたのは、豚肉32.5キロ、アヒル4羽、鶏4羽、豚のもも肉3個、豚の胃袋2個、イノシシ肉12.5キロ、ガチョウ5羽、羊肉10キロ、鹿肉12.5キロ、キジ6羽、魚10キロ、鹿の尾4本、大小の豚の腸各3本など。ほとんどの食材が東北地方産であり、満州族特有の食習慣を反映している。

皇帝の料理は8方向から運ばれ、テーブルに並べられる。点心もあれば、前菜もあり、温かい料理もある。その品数は63品。このほかに、精巧な彫刻が施された漆の器に盛られた果物やドライフルーツ、小麦粉で作った食品などが用意される。海鮮は少ない。清朝の皇帝たちは海鮮をあまり口にせず、時々、松花江からの貢物であるシラウオやチョウザメを食べるぐらいだった。

メインディッシュのほかにも、「敖爾布哈」(満州族特有の揚げ菓子)やアヒル肉の肉まん、米の粉で作った点心、国内各地の惣菜などが並べられた。宮廷の習わしにより、妃嬪たちにはそれぞれ食事のランクがあるため、普段は一人で食べていたが、大晦日の晩餐は皇帝と一緒に食事をした。皇帝の家族のテーブルのほかにも6つのテーブルが用意されたが、料理の品数は24品。皇帝に比べるとだいぶ少なかった。

晩餐が終わると、皇帝は自分が食べた料理を器や碗、皿とともに近しい大臣や親王、郡王たちに見せるよう命じた。そしてみんなで「慶隆舞」(満州族特有の踊り、盛大な祝い事の際に披露される)を観賞した。踊りは最後に獲物を捕らえて終わる。

王室の年越しは非常に豪華なものであるが、その趣旨は庶民も同じ。新しい年の訪れを祝い、喜ぶのである。

 

「チャイナネット」2009年1月24日

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