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japanese.china.org.cn |22. 12. 2021

姑蘇城外寒山寺

タグ: 寒山寺


「姑蘇城外寒山寺」の「姑蘇」は蘇州の別名。姑蘇という名前は、蘇州西南にある山――姑蘇山に由来している。山上の姑蘇台は、春秋時代の末期、呉王夫差が越の勾践を敗って得た美人西施を置くために築かれたものと伝えられている。それはさておき、寒山寺は蘇州城の西5㌔ほどのところにあり、南北朝のころに建立され、初めは「妙利普明塔院」と名付けられたが、唐代に到り、寺の住職が詩人で有名な高僧・寒山と拾得になってから、寒山寺と改められた。


筆者が長い間、日本関係の仕事をする中で感じたのだが、日本人は張継の詩「月落ち烏啼いて」をこよなく愛している。そして暗誦できる人も多い。寒山寺の境内に建つ兪樾の書いたこの詩の石碑の拓本を軸にして床の間に掛けている家庭も珍しくない。聞くところによれば、中学か高校の教科書にもこの詩が収録されているとか。中国にいて目にする情景だが、毎年大みそかに日本から大勢の人が除夜の鐘、つまり「夜半の鐘声」を聞きに蘇州の寒山寺へやって来る。また、「寒山寺の鐘声」に涙を流す人もザラにいるそうだ。それはなぜだろうか?

 

寒山寺に2007年に建てられた巨大な石碑。正面に『楓橋夜泊』が彫られている(cnsphoto)

西安在住の日本問題研究者・候仁鋒氏の見解によると、詩人の張継が一度科挙の試験に失敗し、蘇州に来て目にした情景から受けた感じと関係があり、日本文学の精髄と日本人の美意識である「物の哀れ」や「わび」「さび」と一脈相通ずるものがあるからだと見ているようだ。


「わび」と「さび」は、茶道と俳諧が追求する最高の審美の世界であるそうだが、その根底に寂寥感があると物の本に書いてあった。


「物の哀れ」「わび」「さび」は、確かに日本人の伝統的な美意識だが、絶対化できないのではないか。それは日本的であると同時に中国人の生活感情や情緒、文学の鑑賞習慣とも相通ずるものがあるか、もしくは似ており、中には同じであるものもあるようだ。人間は、一定の時間と空間に存在するものであり、時空に対する感受性や情緒などは人類の普遍的な現象ではなかろうか。


人民中国インターネット版 2021年12月22日


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