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japanese.china.org.cn |13. 02. 2023 |
アルタイ 毛皮スキーで駆け抜ける神秘的な湖を抱く雪の町
新疆ウイグル自治区の最北端に位置し、ロシア、カザフスタン、モンゴルと国境を接するアルタイ(阿勒泰)地区は、少数民族風情豊かな雪の町だ。冬になると、一面の粉雪に覆われたアルタイはまるで想像上の冬のメルヘンの世界そのもの。ここは人類スキー文明の起源の地であり、今でも原始的な毛皮スキーが受け継がれている。雪に覆われたホルム(禾木)村はため息が出るほど美しく、「湖の怪物」がいると言われるカナス湖には古い伝説が眠っている。今でも交通の便が良いとは言えないが、原風景とロマンが良い具合に残っている。今月号の「美しい中国」では、皆さんと一緒にアルタイを訪れ、その原始的で神秘的な美しいベールをはがしていく。
人気上昇中のスキー誕生の地
岩に描かれた1万年前のスキー
アルタイ地区の市街地から車で約1時間のところにあるハンドゥガット(汗徳尕特)蒙古族郷で、2005年、ドゥンデブラク(敦徳布拉克)洞窟の岩肌に描かれた保存状態の極めて良い岩絵が発見された。そこにはアルタイ山脈に住む古代人が、スキー板に乗って獲物を追い掛ける様子がはっきりと記録されていた。岩肌にくっきり描かれた小さな人々は毛皮のスキー板を履き、ストックを片手に膝を曲げて腰を低くし、獲物を運びながら雪と風の中を滑っている。その姿はまるで現代のスキーと全く同じようだ。研究によると、この壁画は少なくとも1万2000年前に描かれたことが判明している。
中国における冬季スポーツについては、1300年余り前の『隋書・室韋伝』に、「地多積雪、惧陥坑穽、騎木而行……(地に積雪が多く、陥ることを恐れ、木に乗り進む)」という記録が残っている。ここでいう「木」とは現代のスキー板のような器具のことで、古代中国ではすでに器具を使って滑るスキーの原型が存在していたことがうかがえる。そしてアルタイでの壁画の発見により、人類のスキーの起源は一気に1万年以上前の旧石器時代までさかのぼり、アルタイも人類スキー文明の起源の地と認定された。
壁画の保護員である張永軍さんは、「アルタイ地区は降雪量が多く、年間の降雪期間は6カ月以上にもなるため、山林での移動や狩りを容易にするために、アルタイの先住民たちは毛皮スキーを発明しました。この壁画は当時のスキーや狩りの様子を生き生きと再現していて、世界最古のスキーを記録する生きた化石とも言えるでしょう」と紹介する。
時代は変わっても、アルタイの先人たちが発明した毛皮スキーは、歴史と共に消え去ることはなく、今でも専門の競技が行われ、無形文化遺産として地元の人々の日常の移動の一翼を担い続けている。アルタイ市の郊外では、毛皮スキー無形文化遺産の伝承者・スランベック・シャヘッシュさん(68)がスランベック木工品店を営んでいる。店内には大小さまざまな毛皮スキー板が並び、中には記念品のミニチュアのものもある。
アルタイの原始的なスキーの情景を再現した岩絵
世界最古のスキー技術
毛皮スキーの板は、上質のシロマツを曲げてスキー板の形にし、馬のふくらはぎの毛皮で覆ったもので、全て手作業で作られる。接着剤を一切使わず、毛皮を縛り付けて固定する。毛皮の取り付け方にはこつがあり、上り坂では毛並みが逆さになり、摩擦力が増して登りやすくなるように、また、下り坂では毛並みに沿って、スピードを出して雪上を滑走できるようにしなければならない。
スランベックさんの工房の壁には、毛皮スキーを作るためのさまざまな道具が整然と掛けられ、ドアの脇に置かれた大きなバケツには馬の皮が浸され、ドアの左側の木の棚には、これまでに作られたさまざまな大きさの毛皮スキー板が並べられている。「私の父は大工で、私の初めての毛皮スキー板は、父がシロマツと馬と牛の皮で作ってくれたものでした。14歳から毛皮スキーの工芸を父から教わりました。毛皮スキーの工芸はわが家で5世代100年近く続いており、ご先祖さまが残してくれた工芸をなんとしてでもつないでいきたいです」と、スランベックさんは語る。彼の幼い頃の記憶では、毎年冬になると、祖父と父は皮の帽子、コート、ズボンを身に着け、さらに毛皮のスキーを履いて山を越え、狩りや薪集めをしていた。
スランベックさんは2006年、当時15歳だった息子のフアンシュベック君に毛皮スキーの作り方を教え、この古い技術を伝えていくことを始めた。板の選定から製作、皮の浸漬、洗浄……細かい作業一つ一つを、スランベックさんは息子が完全にマスターするまで、何度も何度も手取り足取り教えた。
「毛皮スキー板の長さは、使う人の身長によって決まるもので、長すぎても短すぎても合いません。毛皮スキーのストックが1本だけなのは、狩りをしやすいようにするためなんです」とスランベックさん。鎌やナイフで丁寧に馬の皮を洗い、ひもを通すためにきりで穴を開け、牛皮で作ったひもで縛って、シロマツの板に固定する。毛皮スキーを作る工程はそれほど複雑ではないが、一つ一つの工程が匠の技を必要とする。だからスランベックさんはいつも一人静かに作業に打ち込むのが好きなのだ。
スランベックさんは2016年、第13回全国冬季運動会に古代毛皮スキーショーのリーダーとして登場した。「今は生活が豊かになり、狩猟や薪集めをする必要がなく、子どもたちが親世代の人の山を滑る姿を見ることもありません。でも、毛皮スキーを作ることで、もっと多くの人にその古い歴史を知ってもらえたらと思っています」とフアンシュベックさんは言う。5代目伝承者として、毛皮スキーを作りながら、父・スランベックさんと同じように技術を継承し、その技術を通じて古いスキー文化をより多くの人に伝えていきたいと語る。
幸いなことに、毛皮スキーが無形文化遺産に登録され、徐々に脚光を浴びるようになるにつれ、今では、毛皮スキーの楽しさを体験するためにアルタイにやって来る観光客も増えている。
毛皮スキーの制作過程。ひもを通すための穴を板に開けている(vcg)
スキーヤーたちの 「聖地」
ウルムチ空港のチェックインカウンターは、毎年冬になるとスキー・スノボ用品を預ける旅行客であふれかえる。4、5歳くらいの子どもから60代の方まで、さまざまなレベルのスキー・スノボ愛好者や、プロのアスリートたちが、同じアルタイという目的地に向かって出発する。
自然の山林の中で毛皮スキーを体験する観光客に加え、アルタイを「聖地」として捉え、質の高いゲレンデで風を切るスリルを味わうために全国からやって来るスキーヤーも少なくない。
アルタイ地区の将軍山の北斜面に位置する将軍山スキー場は、市街地からわずか1・6㌔のところにあり、国内唯一の市街地に隣接したスキー場で、毎年12月から翌年の3月にかけて全国各地からスキーヤーが集まり、周辺のホテルは常に満室状態となる。
モンゴル語で「黄金の山」を意味するアルタイは、昔から金資源が豊富な地域である。だが近年、アルタイは北緯45度の「ゴールデンスノーライン」に位置することから、「中国の雪の都」として広く知られるようになった。ウインタースポーツブームは、アルタイ地区ブルチン(布爾津)県のホルム村にまで広がっている。ここには2021年12月末にオープンしたばかりのジケプリン(吉克普林)スキー場があり、1年ですでにパウダースノー愛好者のパラダイスになっている。支払いカウンターやラウンジ、リフトの前には長蛇の列ができ、器具のレンタルもすぐになくなってしまう。今のところ、ジケプリンスキー場への公共交通機関はなく、アルタイ市街地から雪深い山道を5時間かけて運転しなければならない。それでも、愛好者たちの熱意を阻む理由にはなっていない。
雪国のメルヘンチックな村
ジケプリンスキー場のあるホルム村は、新疆ウイグル自治区北部のアルタイ地区ブルチン県に位置し、カザフ族とトゥヴァ人(蒙古族の一派)が暮らす小さな村である。トゥヴァ人はチンギスハーンの子孫であると自称しており、その祖先がチンギスハーンと共に遠征に出た際にここに到着し、そのままとどまったとも言い伝えられている。その後、トゥヴァ人は何世代にもわたってホルム村の山や森を守り、狩猟や牧畜で生活してきた。
ホルム村の家々は全て木造建築で、原始的な味わいに満ちている。トゥヴァの人々は、今でも最も原始的な方法で家を建てている。木材の端にくぼみをつけ、それをかみ合わせて合掌造りに仕立て上げる。雪が何度か降ると、積雪の深さは1㍍以上になることもある。ここの家屋は、雪の重みでつぶれないように、屋根が尖った造りになっているのだ。
手つかずの自然が残る山村では、白い雪が積もった場所は子どもたちの最高の遊び場だ。雪遊びの種類はたくさんあるが、子どもたちのお気に入りは、雪の中に飛び込むこと。胸まで積もった雪の中を進み、古い木造の家屋を見つけると、手すりを足場にして、尖った屋根に登る。それから、屋根の傾斜に沿って端まで滑るか、数歩走ってジャンプし、屋根から雪の中にダイブ。けがをする心配はない。厚い雪は、まるで柔らかい綿のように、飛び降りてくる子どもたちを受け止めてくれる。
何度か飛び降りた後、子どもたちは雪の上を転げまわってじゃれ合う。この地に住む子どもたちにとって、楽しいことは、雪によってもたらされるものが多い。服の中に雪が入ってしまっても全然気にしない。子どもたちは元気に遊びまわり、そのかわいらしい笑い声が村中に響きわたる。
神秘的で美しい「神の裏庭」
ホルム村から西へ30㌔、アルタイの深い森の中に、静かな湖――カナス湖の風景が広がっている。神秘的な「湖の怪物」伝説、さまざまな色に光り輝く湖水、まばゆいばかりの自然景観、そして感動的な物語……それら全てがカナス湖を訪れる多くの人々を魅了している。新疆ウイグル自治区の最北部、アルタイ山脈の南斜面に位置するカナス湖は、カザフスタン、ロシア、モンゴル、中国の4カ国が国境を接する地であり、国家地質公園、国家森林公園、中国自然保護区、国家自然遺産に指定されている。
「カナス」とは、モンゴル語で「美しく神秘的な湖」を意味する言葉だ。ここは四季折々に素晴らしい景色が広がり、湖や山の美しさから「神の裏庭」とも呼ばれている。
地元の牧畜民たちの間では、カナス湖には荒々しい性質の巨大な怪物が住んでいて、時々、水辺で休んでいる馬を湖に引きずり込むという言い伝えがある。この伝説は事実無根というわけでもない。実際、約40年ほど前から何人もの観光客が、カナス湖で泳ぎ回る巨大な生物の姿を目撃したり、動画や写真に撮ったりしている。巨大な黒い影が湖面を突き進み、大きな水しぶきを上げているのである。
そんな伝説が、カナス湖をいっそう謎めいた存在にしている。カナス湖の怪物に対する関心が高まったため、研究チームは調査を行い、時折現れる巨大な怪物について、カナス湖に生息する巨大肉食冷水魚タイメン(地元では「大紅魚」と呼ばれている)である可能性が高いと指摘した。タイメンは冷たい環境を好むため、通常は日の出前か日没後に出現し、成魚になると体長は2~5㍍にもなる。
科学的な調査とは別に、地元に住むトゥヴァ人の間では「湖の怪物」に対する美しい解釈がある。昔、チンギスハーンが西方遠征でカナス湖に着くと、この美しい場所でしばらく兵馬を休ませた。そのときの兵士の一部がここにとどまってトゥヴァ人になった。チンギスハーンの死後、その遺体はカナス湖に沈められた。トゥヴァ人はチンギスハーンの護衛としてカナス湖畔で王の墓を代々守ることとなった。人々が見た「湖の怪物」は、チンギスハーンを守る「守護神」なのだ――と。
本当に湖に謎の怪物が生息しているのか、それともそれは「大紅魚」のいたずらなのか。はたまた伝説にあるように、チンギスハーンの守護神が彼の墓を見守っているのか……この神秘的な湖の真実は、結局私たちの想像に委ねられているのかもしれない。
カナス湖の展望台・観魚台(vcg)
「人民中国インターネット版」2023年2月13日