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「津波」の被害の最小限化に努める中国 |
発信時間: 2009-02-25 | チャイナネット |
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林国本 一年余りも前から日本の『エコノミスト』誌やその他のメディアに、サブプライムローン問題についての記事が現れるようになった。筆者はなが年ジャーナリズムの世界に身を置いてきたので、アメリカはいったいどんな手を打つのかと見守っていた。まさかタイタニック号が氷山にぶつかるような大問題になるとは思ってはいなかった。アメリカにはノーベル賞を受賞した経済学者がかなりいることだし、アナリスト、ストラテジストなどいろいろな職名のついた仕事についていいる人が大勢いる。また、FRBの前議長の「実績」や、現議長のキャリアなどについての公開資料にもできるかぎり目を通していたので、まさかこんなことになろうとは想像していなかった。 金融工学のスペシャリストを多数擁したアイスランドやヨーロッパのいくつかの銀行がおかしくなり、アメリカ発の経済危機は、短期間に飛び火した。今年のクリスマスは、サンタクローズのおじいさんにとっては閑古鳥の鳴く町中をソリで走り抜ける旅となったことであろう。1930年代のアメリカの金融恐慌もひどかったそうだが、筆者はまだ生まれていなかったので書物を通して大体のことを知っているにすぎないし、日本の「失われた十年」といわれるバブルの崩壊も、『エコノミスト』誌、『中央公論』誌などを通じて傍観者みたいな気持ちで見ていた。しかし、特派員で東京に滞在していた頃に知遇を得た人の中には、財産のほとんどを失った人もいるし、中国の東京駐在記者団が金融知識の勉強のため、当時の「山一証券」の招待でまる一日いろいろと勉強させてもらったおかげで、筆者も、ゼネラリストタイプのジャーナリストから一応金融経済の知識を身につけた人間に変身することができ、筆者の勤務していたメディアでは「虚像」かもしれないが、かなり金融経済に詳しい人間と見られるようになっていた。 当時の「山一証券」で先物取引のセクションを見学したとき、筆者がそれまで先物取引の書籍を通じて知っていたものとはかなり違うイメージのものであったのでたいへん勉強になった。その後、江戸時代の大阪にも米穀の先物取引の原型みたいなものが存在していたことを知り、凝り性の筆者はそれ以後、金融の勉強にのめり込んだ。だが、アメリカの金融工学の本の日本語版などを読むにしたがって、だんだん自分の限界を知るに至り、結局はジャーナリストとしての常識の範囲に抑えることにした。なにしろ、ロケット・サイエンティストたちが活躍している世界のこと、筆者のごとき人間の数学知識ではとても歯が立たない分野であることを知って、「分をわきまえた」ことは、もしかしたら「ノイローゼ」にならなかった一因かもしれない、と胸をなでおろしている。 そうは言っても、この分野に対しての素人としての興味はずっと持ちつづけてきた。おかげて今回のアメリカ発の経済危機が想像以上に世界各国に悪影響を及ぼしていることもずっとフォローしている。 中国がなかりタイムリーに対応措置をとったことは英断であるとともに、対米輸出などの減速のあおりを食った中国東南沿海地域の動きにも注目しつづけてきた。輸出志向の中小企業の中でも、デジタル化や製品のグレードアップに先手を打ってきたところは「津波」を平然と迎え撃ち、サーファーのように乗り切っているが、資金を株式投資にも使った中小企業は、ダブルパンチを食らう羽目になっている。経営学の常識では、いかなる商品にもライフサイクルがあるということである。それなのに、ひとつの商品のみにしがみついていて、とうとう倒産してしまった小企業を見ていると、そこで働いていた従業員は気の毒に思う。 さいわい、中国はこうした一時帰休者が帰郷した際には、地元ですぐ職業訓練をほどこし、なるべく失業者を減らすことに努めている。また、政府が巨額の資金を投下して、インフラ整備、民生プロジェクトに力を入れ出したおかげで、かなりの雇用も創出された。改革、開放の次の30年はいろいろ新たな課題を抱え込んだスタートとなったようだが、これだけ政府が力を入れているのだから、いろいろ困難もあろうが、なんとか「津波」のマイナス影響を最小限に食い止めるにちがいない。また、鉄道や高速道路などのインフラの急速な整備により対米輸出の減速によるマイナスを他の市場の開拓でカバーすることも不可能ではない。つまり、この「津波」を乗り切れば、次の30年はもっとすばらしいものになると楽観視している昨今である。 とはいうものの、産業構造のグレードアップ、調整にかなり力を入れざるをえなくなることはまちがいない。いろいろな代償はあろうが、改革、開放の次の30年のための月謝としてブレークスルーする以外にないこともたしかだ。そして、中国の近代化の正念場に不可欠の国際的視野をもった人材もこの試練を通して育ってくることであろう。
「北京週報日本語版」2009年2月10日 |
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