梅蘭芳氏は、20代で京劇の「四大名旦(旦は女形の意)」のトップを極めた世界的に有名な京劇芸術の大家である。梅蘭芳氏はその生涯に三度訪日公演を行い、中国の無形の国宝である京劇を日本国民に紹介した。
1919年4月、梅蘭芳氏は日本初公演を行い、日本の観衆は梅氏を通して初めて触れる中国の京劇にすっかり魅了されてしまう。
1924年、日本で関東大震災が発生し、梅蘭芳氏は日本の復興事業を支援するため、再度劇団を率いて日本に赴く。梅氏は歌舞伎俳優とともに舞台を踏んで15回の舞台をこなし、大阪でも5回の公演を行って、その興行収益のすべてを日本の被災地に寄付した。
1956年、62歳になった梅蘭芳氏は、中日友好を促進するため、三度目の訪日公演に赴いた。このときの訪日公演には、梅蘭芳氏が開いた流派、「梅派」の継承者である息子の梅葆玖氏も同行し、53日間に32回の公演を行って日本でセンセーションを巻き起こした。
三度の日本公演を行った梅蘭芳氏だが、その時代背景は毎回違っていた。違わなかったのは、梅蘭芳氏に対する日本側の歓迎ぶりである。東京、大阪、京都、神戸……、梅氏は行く先々で梅蘭芳ブームを巻き起こした。
2001年9月、梅蘭芳没後40周年のこの年、息子の梅葆玖氏が梅蘭芳京劇団を率いて日本を訪れ、亡き父の足跡を辿った。9月9日から15日にかけて梅蘭芳京劇団は東京国立劇場で7回の公演を行っている。
京劇と歌舞伎は共演という形で交流を重ね、梅蘭芳氏も多くの歌舞伎俳優と厚い友情を結んでいた。梅蘭芳氏は、歌舞伎を日本で最高の伝統舞台芸術と認めていた。1955年と1979年に、日本の歌舞伎芸術家が訪中公演を行い、梅葆玖氏も歌舞伎の大看板である市川猿之助氏の1955年の北京公演を観ている。また、梅蘭芳生誕110周年の2004年5月にも、日本の歌舞伎が中国の舞台で演じられた。
日本の歌舞伎芸術家、坂東玉三郎氏は自らが演じる『楊貴妃』に、梅派の演技を取り入れている。「玉三郎さんは北京に来て、私に楊貴妃を習ったことがあります。有名俳優の気取りはまったくなく、とても謙虚な方でした。一方で型を習いながら、一方で独自の演技を創造されていました」と、梅葆玖氏は玉三郎氏の印象を述べ、「京劇も歌舞伎も形式こそ違いますが、同じく東洋の芝居です。ですから、その魂には相通じるものがあります」と語った。
写真1:梅蘭芳氏と日本の歌舞伎俳優との記念写真
写真2:1960年2月25日、レセプションに出席した梅蘭芳氏(写真左)、日本「前進座」の河原崎長十郎代表(写真中央)、中村翫右衛門副代表(写真前)、宮川雅青氏(写真右)