「泣いて馬謖を斬る」
小学生の私は意味も分からず、この言葉を呟いていた。祖父の家に行くと、時々中国のことわざを聞かされたからである。祖父の勧めで小学生のとき『三国志』を知った。もともと歴史が好きだった私はすぐに夢中になって本を読み、いつの間にか中国が好きになっていた。
『三国志』がきっかけで大学では中国文学を専攻し、2006年日本青年交流代表団の一員として日中交流事業に参加した。
11月には念願の四川省成都市を訪れ、諸葛亮や劉備を祀ってある祠堂、武侯祠に行き思いをはせた。時代にして百年にも満たない中国の歴史が、自分の人生にこれだけ大きな影響を及ぼすことになるとは小学生のときは予想さえしなかったな、と不思議な気持ちで武侯祠を後にした。
職場の友人の紹介で成都にある電子科技大学の学生、劉さんと訪中前にメールで連絡を取っていた。武侯祠から帰ったあとホテルから電話をすると、「今から私たちの日本語クラスを見に来ませんか」と言う。事前に写真を交換していなかったのでお互い顔が分からない。直接大学に行き「白い服を着て、赤いモノを持ち、校門前に立っている」劉さんを探すことになった。校門には大勢の人がいたが、春節の赤い飾りを手に持っていた劉さんはすぐに見つけることができた。夜の7時を過ぎていたが、大学は学生で溢れていた。
日本語クラスは教室ではなく、建物の外で立ちながら自由に話し、疲れてきたら終了、というものだった。普段は2時間程度で終わるらしい。教師は大阪出身の日本人女性で、私と同年代。最初は数人だったが、隣の大学からも日本語専攻の学生が来て、総勢40人くらいに膨れ上がった。こんなにたくさんの学生が日本語を勉強し、しかも数年でかなり上達していることに驚いた。私が大学勤務だと言うと、一部の学生が目を輝かし、日本への留学方法や日本の気候、生活、物価などについて熱心に質問をしてくる。日本に関心を持ってくれることが嬉しく、私が知っていることは全て話した。
最後に劉さんらクラスメートが住む学生寮を見学した。4人での共同生活に驚いていると、8人や10人が同部屋で生活している寮もあるという。プライベートがほとんどない空間で、快活に笑い、勉強し生活する彼女らをたくましい、と感じた。このたくましさが中国発展の原動力かもしれない。
その翌日、繁華街を歩いていると、電子科技大学で知り合った日本語教師とばったり会った。珍珠ダイ茶(タピオカ入りミルクティー)を飲みながら、さまざまな葛藤の末に会社を辞めて中国に来たこと、帰国後の不安があること、今は金銭的には恵まれていないが、すごく充実していることなどを聞いた。「飛び出してみないんですか?」という彼女の言葉が印象に残っている。今後どう生きるか考えさせられた。
中国に関心を持つきっかけは『三国志』だったが、中国を好きになった一人として日中の関係が良好になることを切に望んでいる。今後も中国の都市を数多く訪問し、その地に生きる人を、中国人・在中外国人含めて見ていきたい。それととともに、電子科技大学で関わったような若い世代に、もっと日本を知ってもらいたい。
ありのままの中国を知り、日本を知ってもらうために自分のできることをする。それが自分のできる日中友好だと信じている。
(岐阜大学勤務 浅井仁恵さん)
「人民中国」より