日本人は思いやりを持っている民族だとよく言われている。「そうですね」や「そうですか」など、日本語の中に、このような相づち言葉がたくさんあることがその証拠の一つだろう。日本人のこの尊ぶべき精神がよく外国人を感動させることがあるが、困らせることもある。
私は玉木という留学生の友達がいる。彼と付き合っているうちに、日常の細かいことから日本人のこの思いやりがしみじみと感じるようになってきた。例えば、ある日、私が「京都から東京まで新幹線で行けば、いくらぐらいかかるの?」と聞き、彼は覚えていなく、「後で調べたら、また教える」と言った。私はそんなに真剣に聞いたわけではないから、間もなく忘れてしまった。だが、何日後、また玉木君に会った時、むこうは突然「あ、そうだ、この前の新幹線の切符料、後で調べたけど、**円。」と言い出した。私はもうすっかり忘れたのに、意外に彼はまだ覚えている。そのとき、それに対し、私がすこしびっくりしたというよりも、感動した。それからもこのようなことが何度もあった。彼のこの思いやりが、私の頭の中に深い印象を残した。勿論全ての日本人がそうであるとはいえないが、少なくとも「日本人は思いやりを持っている民族」という論点の一つの証になれるだろう。
しかし、その「思いやり」がありすぎると、困ることも出てくるかもしれない。同じく玉木君のことだが、私を困らせることもあった。例えば、先輩と玉木君と3人で10時に待ち合わせると約束したが、私には突然別の予定が入ってきて、後で行くことにした。どういうわけか先輩が15分以上も遅れてしまったのだ。それで、玉木君はしかたなくそのまま寮に帰ってしまった。後で私は何度も電話で謝ったが、向こうが「大丈夫だよ、今日はいいから」と私を慰めてくれた。本当に大丈夫かと思って、ずっと落ち着かなかった。次の日に実際に会ってから、彼の顔にはまるで「大丈夫ではない」と書いてあるようだった。ご飯を食べながら話している間、彼の目つきはずっと私を逃げていた。すごく気まずかった。恐らくそれが、彼が思いやりがありすぎて、どんなに怒っても、直接には言わないだろう。しかし、友達としては、私を直接的に叱ってもいい、後でまた仲直せばいいからと思っている。文句があっても隠すというやり方は互いの誤解を解かすことに役立たないだろう。
このことで私は日本人の「思いやり」についていろいろと考え、資料も調べてみた。この思いやりはずっと昔から形成してきたものだと言われている。日本は自然に恵まれる国とも言われるが、災害多発の国とも言われる。日本人が昔からずっと台風、地震のような自然災害と戦って成長してきた。こんな厳しい自然から生きるため、日本人は集団で暮らさなければならない。そして、日本古代の生産方式は農耕で、農耕には人々の協力が必要となる。この二つの要因で、日本人は団体に排斥されるのを怖がっている。だからこそ、互いの気持ちや考え方にすごく気になっている。更に、自分の個性を隠し、みんな普通の人間のまねをしている。これは西洋文化の個性強調とははっきり異なる。
日本人の思いやりは有り難いものか、あるいは面倒くさいものかは問わず、その存在は動かせない事実だから、私たち日本語を勉強する者はそれを注意すべきだと思う。外国語勉強者は、その対象国の言語だけではなく、対象国の文化、習慣を勉強し、そしてそれを尊ぶうえで、その国の人々と付き合うことが大事だと思う。
(筆者は広東外語外貿大学日本語学科の林彦桜さん)
「チャイナネット」