中国船史会会長、上海交通大学教授の辛元欧氏は、「鄭和の遠洋航海は中国の木造船産業の発展のために大きな条件を提供し、その規模、技術は史上最高レベルにまで達した。明初期の造船職人の精緻な技術、設計により遠洋航海に耐える優れた宝船が建造され、これは巨舶と称された。鄭和の遠洋航海には、毎回百余隻の巨舶が出航しており、これは明の造船所が世界に雄たるものであったことを示している」、と語っている。
辛元欧氏は、「明の時代は南京に都を置き、長江沿岸に次々に大小の造船所60余ヵ所を建設した。南京付近には34ヵ所建設され、西は都司廟から東に向けて配置されて、牌楼戚家溝に及び総距離6里に達し、累計2130隻の船を建造した。長江中下流の造船所の中では、竜江造船所の規模が最大で、全国各地の船大工を集めていたので、造船技術はもっとも先進的であり、当時の世界造船工業の最高レベルにあった。1957年、南京三汊河の明代宝船造船所から出土した11.7mの巨大な船舵から推算すると、鄭和の宝船のトン数は最大で千トン以上に達しており、これは当時世界最大の遠洋航海用船舶であった」と述べている。
鄭和の船隊の出航地は、いつも遠洋航海に便利な福建長楽太平港五虎門で、一部の宝船は太平港で建造されている。このほか、全国各地で鄭和遠洋航海のための海洋航海船舶が建造、改修されており、17年間に計2758隻が建造された。造船所は全国各地に広がり、その大規模な造船活動は各地で活況を呈していた。
「チャイナネット」2005年7月1日