「澳門(マカオ)の歴史的建築物群」は澳門の400余年にわたる中国文化と西洋文化の交流史の姿をよく保存している。それは中国域内に現存する年代が最も古く、規模が最も大きく、最も完全に保存され、最も集中している中国式建築物と西洋式建築物がコントラストをなす歴史市街区であり、欧米の宗教文化が中国と極東地域に伝播された時代の重要なあかしであり、さらに400余年来の中国文化と西洋文化が交流し合い、補完し合い、多元的に共存しつづけてきた結晶である。2004年初頭、「澳門の歴史的建築物群」は中国が2005年に世界文化遺産として申請する唯一のプロジェクトとなった。
「澳門の歴史的建築物群」というコンセプトは2002年に提起されてから現在まで重要な調整を経て、当初の分散していた12の建築物から歴史市街区へと充実されるに至った。この市街区は澳門の古い市街区を中核とし、隣接する広場と大通りを通じて一つにつながり、空間構造のコンセプト、建築物の風格、美的雰囲気、職人の技芸と技術の面での東方と西洋の諸国間の交流と融合を示すものである。その中を散策すれば、さながら東方の建築芸術博物館に身を置くようである。市街区に入ると、人々はここに中国の最も古い西洋風の建築物群が保存されており、その風格にルネッサンス時代以後に現れたヨーロッパの建築形態の大部分が含まれ、バロックから新古典主義までなんでもあることに驚きをこめて気づくことになる。数多くの宗教建築物も教派によってそれぞれの特色がある。同時に、これらの西洋風の建築物はその固有の風格の中にインド、日本及び中国のいくつかの沿海地域の建築物の特色をも導入し、ひいてはカトリック教会堂の壁画までも中国風の手法を採用して描いたものであり、市街区全体の配置は風水ともいわれる地相学の考え方を具現したものである。中国の広東・広西一帯の建築物の風格の廟堂、清(1616-1911)の末期の中庭のある住宅と広東の「西関大屋」風の民家は、さらにこの市街区の変化に富む建築物の風格をあらわにしている。
観光客たちがその名を慕って大三巴という建物の残壁をめぐって遊覧する際、その「名実相伴わぬ」ことに驚きもするが、このれっきとした中国語の名称がある築造物は絶対に忠実・孝行・節(みさお)・義理を尊ぶ中国風の鳥居ではなく、西洋風の教会堂の残壁である。これはほかでもなく、澳門の歴史的建築物からはたとえ小さなところでも西洋文化と中国文化との衝突と対話を目にし、中国文化に永遠に衰えることのない生命力とその開放性、包容性があることや中国と西洋の二つの異なる文化が平和共存する可能性を裏付けるものである。
澳門の歴史市街区をそぞろ歩けば、いつも中国文化と西洋文化が調和のとれた形で共存していることを感じる。ここはさまざまな信仰と習慣を集めた住民の生活の空間である――中国の海の神の媽祖を祭る媽閣廟はポルトガル人の航海の神を祭っているサント・ロレンゾ教会堂と極めて近いところにあり、ポルトガル人居住区のそばに中国の近代思想家鄭観応の中国風の大きな邸宅があり、高く聳える大三巴のヨコは小さくて精緻なノーザ(哪吒・伝説中の神)廟であり、東望洋砲台の聖母雪地殿教会堂の壁の上には中国風の図案が描かれた壁画がある……歴史が次第に遠ざかって行っても、保存されてきたこれらの建築物には依然として中国文化と西洋文化の融合と共存の記憶が刻み込まれている。
この歴史市街区では、異なる信仰と習慣を持つ民衆たちが今日になっても依然としてそれぞれの伝統を保ちつづけ、豊富で多元化した祭日・めでたい行事の中では中国文化と西洋文化の澳門での融合、共存を続けている。それだからこそ、この生きている歴史市街区は文化財専門家の興味をそそるとともに、それを世界文化遺産に組み入れる努力が始まった。
澳門の建築物の最たるもの
サント・ロレンゾ教会堂、サント・オスディン教会堂、ハマナス堂は中国の最も早期のカトリック教会堂であり、中国の最も古い教会堂建築物でもある。
サント・ロセー修道院は中国に現存する最も古い、よく保存された修道院である。
大三巴は中国の最も古い教会堂の遺跡である。
大砲台に代表される東望洋砲台、焼灰炉砲台を含む西洋風の砲台は中国に現存する最も古い砲台群である。
キリスト教の墓地は、中国の現存する最も古いキリスト教新教の墓地である。
崗頂劇院は中国で最初の西洋風の劇場である。
東望洋砲台は極東地域で初めての灯台であり、今でもちゃんと利用されている。
「チャイナネット」2005年5月
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