大三巴は花崗岩で築造されたもので、もとのサント・パクロ教会堂の正面の壁の遺跡であり、壁全体はバロック風のものであるが、一部の設計と彫刻ははっきりした東方の色彩を持つもので、例えば、中国語の文字と日本の伝統を象徴する菊の花の丸い図案などがそれである。この中国と西洋の建築物の風格を結び付けた門のある壁は全世界のカトリック教会堂の中でまたとない存在である。
サント・パクロ教会堂は1580年と1595年に創設され、前後して火災で破壊をこうむり、1835年にまた火災の破壊をこうむり、教会堂の正面の壁、地盤と教会堂前の石の階段しか残っていない。1837年から1854年にかけて、遺跡は宣教師たちの墓地として使われてきた。1990年から1996年にかけて、澳門政府は2000余万元の資金を投下して遺跡に対し考古学的調査、修復と開発利用を行い、それを完全な形で保存することになった。
「チャイナネット」2005年5月