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永野修身

永野修身(1880-1947)

高知県出身。1900年に日本海軍兵学校第28期を卒業、1920年に駐アメリカ日本国大使館付武官となり、1923年に少将に昇進、1925年に第一海外派遣艦隊司令官に就任、1927年に練習艦隊司令官に就任、同年12月に中将に昇進、1928年に海軍兵学校校長に就任、1930年に海軍軍令部次長に就任、1931年にジュネーブ軍縮会議全権委員に就任、1933年に横須賀鎮守府長官に就任、1934年に大将に昇進、1935年にロントン軍縮会議全権委員に就任、1936年に広田内閣の海軍大臣に就任、対外侵略拡張の「国策基準」の策定に参加した。1937年に連合艦隊司令官に就任、のちに軍事参議官に就任。1941年に海軍軍令部総長に就任、アメリカ、イギリス、オランダに対する開戦を主張し、真珠港奇襲の戦闘計画の作成に参加するとともに、最後にそれを認可した。1943年に元帥に昇進、1944年に天皇の軍事顧問に就任。日本が降伏した後、A級戦犯と見なされ、極東国際軍事法廷で裁判を受けている期間に獄中で病死した。

「チャイナネット」資料

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