今年3月16日と17日、中華日本学会は中日国交正常化30周年を記念するため、北京で「中日ベテラン外交家座談会」を開催した。私は主催者側を代表してあいさつを述べたとき、思わず30年前の事を思い出した。あの時、私は新華社の東京駐在特派員を務めていた。私は田中首相と大平外相が北京空港に到着したその日の『朝日新聞』の夕刊に掲載されたニュースを忘れることができない。ニュースは次のように書かれている。
「1972年9月25日午前11時40分、赤いじゅうたんを敷いた飛行機のタラップを、黒い服の田中首相がわずかにからだを左右に振りながら降りてきた。まぶしそうに、空を見上げ、きっと口を横一文字に結んで、周首相の前にすすんだ。
タラップの下から、淡いグレーの人民服をゆったりと着た周恩来首相が歩み寄る。ふんわりと、とでもいう感じで、二人は一つになった。手と手が握り合わされた。五度、六度こきざみに、ふたつの手が揺れた。そして、間をわずかに置いて、もう一度、たしかめるように、強い握手が繰り返された。
これは夢なのか、いや夢ではない。今、間違いなく日中両国首相の手が、かたく握られたのである。」
あの歴史的な握手から今日までまる30の春と秋を過ぎてしまった。30年来の過程を振り返って、感無量である。
1972年9月29日、周恩来総理と田中角栄首相が北京で中日共同声明に調印し、国交正常化がこれで実現し、両国関係の新しい一ページを開いた。この30年を振り返って、中日関係は幾多の曲折を経たが、両国政府と民間の共同の努力の下で、両国の友好関係は総じて言えば、たえず前へ進んでゆき、また全面的な発展を遂げ、中日交流史上においていかなる時期も比べものにならない広さと深さに達している。中日両国政府は貿易、航空、漁業、文化などに関する協定を結び、1978年の中日平和友好条約の締結で、両国関係の政治的基盤は法的にいっそう強固になり、保証された。 1997年に、日本の天皇、皇后両陛下が歴史上初めて中国を訪れた。1998年に、江沢民主席が日本を公式に訪問し、「中日共同宣言」を発表し、平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築をともに確立し、新しい時期における中日関係の発展の方向を確定した。両国の貿易協力も喜ばしい成果を上げている。1972年の中日間の貿易取引額はわずか10億3000万ドルであったが、昨年、世界経済の低迷にもかかわらず、中日両国間の貿易取引額は依然として877億ドルに達し、国交正常化の頃の約97倍に増え、日本は8年連続して中国にとっての最大の貿易パートナーとなっている。さらに日本の対中投資から見れば、2000年末現在、契約ベース額は388億ドル、実際投資額は278億ドルに達し、各国の対中投資リストの最上位にランクされた。両国の文化、教育、科学技術、環境保全、観光、地方政府などの諸分野における交流はいずれも史上最高のレベルに達した。1972年において、中日両国の人的往来は1万人以下にすぎなかったが、ここ数年来、毎年延べ200万人に達し、各国の中国を訪れる人数の中でずっとトップを占めている。毎週、両国間を往復する定期便は200機以上に達している。中日両国は210組余りの友好都市関係を結び、中国の対外友好都市の中でも1位を占めている。
なにを隠そう、30年らい、中日関係は幾度も曲折を経てきており、とくに昨年は、両国関係に後退が見られた。しかし、「歴史をいましめとし、未来に目を向ける」という精神に基づいて、双方の努力を通じて、現在は正常な発展の軌道に戻っている。これは喜ばしいことである。
(作者は中華人民共和国文化部元副部長、中華日本学会会長)
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