抗日戦争の中で、5人の医師からなる中国援助インド医療チームが、インド国民会議派の派遣とインド人民の委託を受けて遠路はるばる中国に来て、中国の抗日戦争を支援した。彼らの中には若い外科医師が1人いた。困難に満ちた歳月の中で八路軍の負傷者に対して応急手当てを行ない、のちにベチューン平和病院の初代院長に任命され、中国共産党に入党し、過労のため病気になり、殉職した。中国の名は柯棣華。
柯棣華の本名はドワナト・サンタラム・コートニス。1910年にインド・ムンバイのショラプル村に生まれる。1936年にインドの著名医学院を卒業した。
1942年7月、柯棣華氏は光栄にも中国共産党に入党した。1942年12月9日中国で病死した。毛沢東主席は柯棣華氏のために次のような弔辞を書いた。「…軍隊全体が1人の助手を失い、民族は1人の友人を失った。柯棣華医師の国際主義的精神を、私たちは永遠に忘れてはならない」。
新中国成立後、故人の墓は華北軍区烈士陵園に移された。1976年、河北省石家荘市は柯棣華記念館をつくった。
「チャイナネット」資料