リンマイコー氏はもともと燕京大学のイギリス籍の教師であった。中国の抗日闘争に同情し、かつて敵の占領下の北京でひそかに八路軍のために仕事をし、真珠湾襲撃事件の後、氏は夫人を携えて北京を離れた。
八路軍の協力の下で、晋察冀(山西・チャハール・河北)辺区に入って、晋察冀と延安で生活し、働き、抗日戦争の勝利に至るまでみずからの力を寄与しつづけた。氏は中国の抗日の軍隊と人民と苦楽を共にし、根拠地の通信事業の発展のために寄与した。
抗日戦争の勝利以後、1945年10月に重慶を経由してインドからイギリスに帰った。
新中国成立後、氏と家族は中国の発展に非常に関心を寄せ、何度も中国を訪問した。氏は中国人民の永遠に忘れることのできない古い友人である。
「チャイナネット」資料