1840年アヘン戦争以後の百年近くの間、中国は終始激化する外国の苛めを受け続けてきた貧弱かつ立ち遅れた国であった。中国の無数の志士、仁徳者はかつていろいろな方法で国家、民族の滅亡を救う道を探し求めた。しかし、帝国主義、植民地主義が残虐をほしいままにした年代には、貧弱な中国を独立した富強な国に復興させる道に辿りつくのは難かしかった。中国人民が何度も外国の侵略と抑圧を受けた原因の一つである自身の分裂と軟弱さ以外の根本的な原因は、世界中にいつも存在していた力を頼み、弱者を踏みにじる強権政治の災いである。早期の帝国主義と植民地主義から30年代に出現した血腥い臭いのファシズム主義に至るまで、とどのつまりすべてはこうした強権政治の産物であった。弱者が強大な敵に抵抗するただ一つの効果的な方法は「連合して敵に抗する」である。実は、日本ファシズムが中国の東北を侵略しはじめた時から、多くの中国人はこのことをすでに認識しており、貧弱な中国は苛められ、抑圧される屈辱の地位から抜け出ようとするならば、ただ自分自身が団結するばかりでなく、全世界のあらゆる平和を愛する国と人民が連合して、共にこの弱肉強食かつ不公平な国際政治現象に対して不撓不屈な闘争を行なわなければならないのは理の当然であった。
中国人民は日本侵略者に対して15年の長きに及ぶ、人を感激の涙にむせばせる勇敢な闘争を行ない、その大半の山河が敵に蹂躙され、無数の子女が直接的あるいは間接的に侵略者の刀によって屠殺され、その総価値が千億ドル近くにのぼる財産が敵によって略奪、焼失あるいは破壊された。これらのあらゆる代価は、中国自身の解放のためであり、世界各国人民をめざめさせ、その闘争意志を鼓舞激励し、世界の平和と秩序を新たに打ち立てるための犠牲でもあったのである。中国人民の悲惨な心痛む経歴と血を浴びた抵抗がなければ、世界各国のもっと多くの人民がファシズム強権の虐待と蹂躙を受け、世界各国の平和を愛する政府と人民の覚醒、協力と共同作戦がなければ、中国人民はもっと長い間、果てしない暗黒の中で生活したことであろう。
第二次世界大戦は中国人民に、また全世界の人民にも深刻な道理を教えている、それは各国人民が心を一つにして共に世界平和を守らなければならないということである。どのような形式の覇権主義、対外侵略主義もみな世界の平和に脅威をもたらし、どのような覇権主義、対外侵略主義の行動に対する放任は、みな世界平和を損なうひどい結果を招くのである。第二次世界大戦の終結後、極東国際軍事裁判所は日本の戦犯に対する厳粛な裁判は、世界各国人民の戦争と覇権に反対する強い決意を十分に表明している。
60年の歳月が経ち、人類発展の苦難に満ちた歴史過程をふり返ってみれば、さらに強く平和の貴さを感じざるを得ない。60年の間に、全世界的規模で、経済成長が飛躍的に前進し、科学の進歩は日進月歩の勢いを見せている。これらすべては戦後の世界の平和と安寧によってもたらされたものである。逆に、かの大戦に深く悩まされ混乱させられた国と人民は、ただひたすらさらに多くの苦痛と立ち遅れと共に生きていくしかなかった。何度かの紆余曲折を経て、現在中国はついに改革開放の道を歩み、そして世界の平和的環境こそがその発展に与えられた重要な機会であることを認識し、だからこそなおいっそう平和を大切にしなければならないと感じているのである。
中国人民は戦争の危害を身にしみてよく知っているからこそ、戦争に反対し、平和を熱愛する心は、すべて今まで通り、これからも変わることはない。中国人民は経済の発展と科学の進歩の重要性を身にしみてよく知っているからこそ、戦争に反対し、平和を守ることに、全力を傾注するのである。過去においてもこの通りであったし、現在もまたこの通りであり、将来においても変わることなくこの通りである。中国人民が永遠に世界平和を守る重要な力であることは疑いもない。
「チャイナネット」2005/04/26