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中国人民と世界人民の決定的勝利

1944年6月、連合国軍はフランスのノルマンディーに大挙して上陸し、ソ連赤軍と共にファシズムドイツを両面から挟撃する有利な状況が形成された。ドイツ軍はまたたく間に敗北し、連合国軍とソ連軍はほとんどあらゆるヨーロッパの国を解放し、相前後してドイツ国境内に攻め入った。1945年4月、壊滅的な惨禍は最後まで頑強に抵抗するドイツ、日本ファシストに同時におとずれた。4月1日、アメリカ軍は日本本土の沖縄島進攻を開始、5日、ソ連は一方的に1941年日本を慰撫するために締結した「日ソ中立条約」の廃棄を宣告し、20日ソ連軍はドイツの首都ベルリンへの攻撃を開始、30日ドイツファシズムの首魁ヒトラーが自殺し、数日後ドイツは無条件降伏を宣言した。ここに至って、日本は自国の実力の過半を損失したばかりではなく、完全な孤立状態に陥り、そのうえ、米、英、ソなどの国は逆に大量の兵力と物資を陸続と太平洋戦線に移し、日本ファシズムが敗北するのは時間であるという運命はもう決定的であった。

4月の下旬から、日本の大本営は中国南方の戦線を縮小し、中国の東北、華北と華東地区を固守する準備を始め、全力をあげてソ連、アメリカに対してのるか反るかの作戦をとると大言壮語していた。中国軍は消息を聞いて行動を開始し、広西、福建、浙江と江西における10万平方キロに近くの失地を相前後して回復した。敵後方にあった八路軍と新四軍も、勢いに乗じて強力な春季攻勢と夏季攻勢をかけ、いたるところで敵及びカイライ軍を攻撃し、失地を回復し、人民を解放していった。これに対して日本守備軍はほとんど反撃する力を失なっており、潰滅的敗北は火を見るよりも明らかであった。 

ドイツファシズムの降伏後、世界反ファシズム戦争は最終段階に入った。1945年7月17日から8月2日にかけて、米、英、ソ3カ国の首脳はベルリン郊外のポツダムで会議を開き、対日作戦と戦後の関係問題を討議した。7月26日に公表された「ポツダム宣言」は、米、英、中3カ国の名義で、日本政府に対し一切の抵抗を停止し、直ちに全日本軍の無条件降伏を宣言することを公に要求した。日本当局が「ポツダム宣言」の受け入れを拒絶したので、連合国は日本ファシズムに対する最後の一戦を発動した。

1945年8月6日、アメリカは日本の広島に1番目の原子爆弾を投下し、9日、また長崎に2番目の原子爆弾を投下して、この二都市のすべてをほとんど破壊してしまった。8月9日の朝まだき、ソ連政府も日本に宣戦を正式に布告し、150万のソ連軍が多方向から中国の東北3省及び察哈爾(チャハール)地区に進撃し、すみやかに日本関東軍の抵抗を打ち破った。ソ連軍が出兵したその当日、中国共産党の指導者毛沢東も全面的反攻の命令を発し、八路軍と新四軍はただちに華北、華中と華南の各地において、大規模な反攻を展開し、あくまでも抵抗する日本軍とカイライ軍を大挙して包囲し、殲滅した。

8月10日、日本当局は最終的に作戦継続の企図を放棄し、日本国天皇が最後の決定を下し、第三国政府を通じて中国、アメリカ、イギリス、ソ連4カ国に対し「ポツダム宣言」受諾の覚え書を送付した。14日夜、日本政府は正式に中国、アメリカ、イギリス、ソ連4カ国の政府に対し、日本が無条件降伏を決定し、天皇は日本の陸・海・空軍がすべての戦闘を停止し、連合国軍の部隊に武装を引き渡すようにと命令する予定であると通告した。

9月2日午前、日本政府代表は、日本の東京湾に停泊するアメリカの軍艦ミズーリ号上で正式に中国、アメリカ、イギリス、ソ連など連合国の代表の前で降伏文書に署名した。一週間後、すなわち9月9日、日本の中国派遣軍総司令官岡村寧次は、南京において中国政府陸軍総司令何応欽に対し正式に降伏し、降伏文書に署名した。1894年の甲午戦争の時から、一貫して輝かしい勇武威勢を示して中国人民に対する威圧と侵略を得意としていた日本の戦争狂は初めて中国人民に頭をたれて罪を認め、侵略者は辿るべき末路を辿ったのである。

日本が降伏を宣言した日に、中国戦区で投降を受諾する日本軍は128万人の多くを数え(その中には、台湾にいた6万の日本軍とベトナム北部にいた3万弱の日本軍を含む)、さらに中国の東北においてソ連赤軍が投降を受諾する約70万の日本関東軍を加えれば、中国地区にいる侵略軍は合計200万にも達しようという数である。これを見てもわかるように戦争後期になって、日本ファシズムはすでに行き詰ろうとしている時にもやはり中国大陸をその戦略的後方と見なし、中国大陸とくに中国の東北地区を利用して頑強に抵抗しようとしていた企図が明白である。中国戦線の地位と役割もこのことから類推できるであろう。

「チャイナネット」2005/04/26

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