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第二次世界大戦の勃発

 抗日戦争勃発の初期、中国政府は何度も英、米、仏などの国に対して、日本に圧力を加えるように要請したが、ヨーロッパを生命線とみなす英仏両国は独伊両国がヨーロッパで拍車をかけた拡張行動に妨げられて、東方を顧みる余裕はなく、日本に対してはただ見守るばかりであった。その結果、国際連盟は日本の中国侵略問題に対しては「制裁」という二文字を持ち出そうとしないばかりではなく、「侵略」の二文字さえも口の端にのせたくない有様であった。

英仏などの妥協政策は、少しもファシズム国家の拡張意図を買えることはできなかった。日本の中国に対する全面的な侵入に対する不制裁は、さらに民主諸国の軟弱さを顕著にするだけで、ファシズムドイツの領土拡張の野望をただ刺激するだけであった。こうした状況の中でドイツはすぐにつぎの侵略目標をチェコスロバキアだと決めた。

チェコスロバキアは小国であるが、ヨーロッパの中部に位置し戦略的にはとても重要であった。ドイツはオーストリアを併呑して、すでにチェコスロバキアを3面から包囲しており、さらに駒を一歩すすめてチェコスロバキアを併呑することは、ヒトラーのヨーロッパ侵略計画におけるもっとも重要なステップの一つであった。1938年3月、ドイツはズデーテン地区に住むゲルマン人の権利を守ることを口実にして、チェコスロバキア政府を武力的に威嚇した。英仏両国はこの時もきわめて軟弱な態度で対応した。独、伊、英、仏4カ国が参加したミュンヘン会議では、英仏両国は勝手にドイツと協定を締結し、チェコスロバキアのズデーテン地区をドイツに割譲することを代償として平和と交換したのである。このきわめて弱腰の宥和主義は単にヨーロッパが直面している戦争の危機を解決できなかっただけではなく、逆にさらに一層ひどい結果をもたらした。独伊ファシストはさらにほしいままに行動し、数カ月後にはドイツはみじめに分割されたばかりのチェコスロバキアを強引に併呑し、イタリアも機会に乗じてアルバニアを占領した。独伊両国は、5月22日政治、軍事の同盟を結成した。その後、ドイツは侵略の矛先を東側のポーランドに向けたのである。こうした現実に直面して、英仏はついに宥和政策の失敗を認識するに至り、戦争の準備を急ぎ、ポーランドが侵略された時の救援の準備する一方、何とかしてソ連を巻き込んで共にドイツの東侵をくいとめようと図ったのである。

この時点でのこのような努力はもう手遅れであった。ドイツは一貫してボルシェビキ主義反対を旗じるしとしており、侵略の矛先をソ連と隣接しているポーランドに向けたので、ソ連の緊張は倍加していた。かつてソ連は英、仏などと国家集団安全保障体制を結成し、共にドイツに対する防御を図ろうと極力主張していた。しかし、英仏両国政府のミュンヘンにおけるチェコスロバキアの利益を犠牲にしてはばからない行動を見て、ソ連政府はかれらは故意にドイツの矛先を東へ向かわせているとの懐疑心を持っていた。そこで矛先を西へ向かわせ、自国の安全を保証するため、ソ連はイギリス、フランスを捨てて、8月21日単独でドイツと妥協し、ドイツがポーランドを占領することを支持したのである。事ここに至って、9月1日、ドイツはポーランドに対して宣戦布告もせずに戦争を開始し、その2日後、イギリス、フランスはやむなくドイツに宣戦を布告し、ここに第二次世界大戦の火蓋が全面的に切って落されたのである。

「チャイナネット」2005/04/26

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