日本軍は中国を侵略した際、大量の化学兵器を使用し、中国人民に大きな災禍をもたらした。日本は1927年に大久野島に毒剤工場を設立し、毒ガス弾を研究生産し、多くの化学弾薬を保存した。1933年に化学軍事署と化学戦部隊を成立し、化学兵学校をも設けた。化学第516部隊は大規模な化学兵器の実験をおこなった。
日本軍の対中国化学戦は1937年から1945年までの8年間に、中国の18の省で繰り広げられた。正確に記載された化学戦の回数は2000余りで、中国軍人の死傷者数は8万人以上と言われているが、実際の死傷者数はこれより多い。ろ獲した日本軍の化学戦の記録を分析すれば、回数は中国側の記録の二三倍に相当する。
1942年に、日本軍は河北省定県の北垣村で800人あまりの村民に対して毒薬を使った。これが内外を震撼させた「北垣村事件」である。
「チャイナネット」2005/05/27