白鳥敏夫(1887-1949年)
千葉県生まれ。東京帝国大学経済学部卒業。1914年以降、瀋陽領事官補、駐米大使館三等書記官、外務省事務官を歴任。1929年に情報部第二課長、1930年情報部長に就任し、1933年に駐スウェーデン公使、1938年に駐イタリア大使。1940年に外務省顧問となり、「日独伊軍事同盟」の締結に参与。1942年に衆議院議員に当選。日本降伏後、A級戦犯として逮捕され極東国際軍事法廷に無期懲役の判決を受けた。
「チャイナネット」資料