松井石根(1878-1948)
愛知県出身。元日本軍陸軍大将、陸軍士官学校第9期卒業生。日露戦争の期間、陸軍大学で学んでいた松井は歩兵第6連隊中尉大隊長として戦争に参加した。1906年に陸軍大学を卒業後、参謀本部中国班班員、歩兵第29連隊連隊長、奉天(現在の瀋陽)特務機関長、ウラジオストック派遣軍参謀、関東軍司令部副官、歩兵第35旅団旅団長、中国の広東および上海の駐在武官、駐中国日本国公使館武官、参謀本部第2部部長、第8師団師団長と第11師団師団長などを歴任。1932年に、陸軍の代表としてジュネーブ軍縮会議に出席した。帰国後、軍事参議官、台湾駐屯軍司令官に就任。1933年10月に陸軍大将に昇進。1937年7月、日本は全面的な中国侵略戦争を引き起こし、速やかに戦火を上海にまで広げた。8月13日、日本軍が上海に進攻した際、松井は現役に復帰し、上海派遣軍司令官に任命され、のちに華中(中国中部地域)方面軍司令官兼上海派遣軍司令官となり、日本軍を組織、指揮して上海、南京に進攻した。日本軍が南京を占領した後、松井は意識的に部隊を放任してさまざまな暴行を行わせ、「南京大虐殺」をつくり出した。1938年3月、松井は内閣参議に就任。1945年、日本が敗戦で降伏した後の9月19日に、駐日本連合国軍総司令部は命令を下して松井石根をA級戦犯として逮捕して投獄した。1948年11月12日に極東国際軍事法廷によって絞首刑を言い渡され、12月23日に刑を執行された。
「チャイナネット」資料