板垣征四郎(1885-1948)
岩手県出身。元日本軍陸軍大将。
日本陸軍士官学校第16期(1904年)卒業生、日露戦争に参加したことがある。かつて中国侵略日本軍の参謀として長期間中国の昆明、武漢、瀋陽などで滞在した。1929-1934年に関東軍の高級参謀を務め、石原莞爾らと積極的に「九・一八事変(1931年9月18日、中国東北部に対する侵略の発端)」を画策し、かいらい満州国をでっち上げ、かいらい満州国の執政顧問を務めた。1934年にかいらい満州国の軍政部最高顧問を務めた。1936年に関東軍参謀長に就任、中将昇進。1937年に第5師団師団長となり、太原会戦と徐州会戦の中で大敗を喫した。1938年6月以降、近衛内閣の陸軍大臣兼対かいらい満州国事務局総裁のポストにあった。1939年9月から中国侵略派遣軍参謀長に就任。1941年に大将に昇進、朝鮮侵略日本軍司令官を務めた。1945年に東南アジアを侵略する第17方面軍司令官に就任、のちに第7方面軍司令官に就任。1948年11月に極東国際軍事法廷によってA級戦犯とされ、絞首刑に処せられた。
「チャイナネット」資料