A級戦犯として極東(東京)国際軍事裁判で起訴された28人のうち、大川周明は精神に異常がありとして免訴となり、永野修身と松岡洋右は裁判の途中で病死したため、最後的に判決を言い渡されたA級戦犯は次の25人である。荒木貞夫、板垣征四郎、梅津美治郎、大島浩、岡敬純、賀屋興宣、木戸幸一、木村兵太郎、小磯国昭、佐藤賢了、重光葵、嶋田繁太郎、白鳥敏夫、鈴木貞一、東郷茂徳、東条英機、土肥原賢二、橋本欣五郎、畑俊六、平沼騏一郎、広田弘毅、星野直樹、松井石根、南次郎、武藤章。
28人のA級戦犯のうち「昭和の受難者」として靖国神社に「合祀」されているものは次の通り
絞首刑 東条英機、板垣征四郎、木村兵太郎、土肥原賢二、松井石根、武藤章、広田弘毅。
終身禁錮刑に処され獄中で死亡したもの 梅津美治郎、小磯国昭、平沼騏一郎、白鳥敏夫。
懲役20年の刑を言い渡され獄中で病死したもの 東郷茂徳。
判決を受ける前に病院で病死したもの 永野修身、松岡洋右。
東京裁判で最終的に絞首刑に処されたのは旧満州特務機関長の土肥原賢二、元首相、関東軍参謀長の東条英機、元陸相、関東軍参謀長の板垣征四郎、「広田三原則」(排日停止・満州国承認・共同防共)の提唱者、首相にもなった広田弘毅、南京大虐殺の責任者である松井石根、元東条内閣陸軍省軍務局長の武藤章、元東条内閣陸軍次官の木村兵太郎ら7人である。無期懲役に処されたのは、元陸相、「一二八」中国侵略戦争の画策者である荒木貞夫、元首相、関東軍参謀長の小磯国昭、元首相、日本ファシズム団体「国本社」の創設者の平沼騏一郎、『何梅協定(何応欽・梅津協定)』を締結した元関東軍司令官・参謀総長の梅津美治郎、元関東軍司令官の南次郎、日本侵略者の「三光(殺しつくし、奪いつくし、焼きつくす)政策を実施した元中国派遣軍司令官の畑俊六、元海相の嶋田繁太郎、元宮内大臣木戸幸一、元東条内閣書記官長、旧満州国総務庁長官の星野直樹、元蔵相、華北開発会社総裁の賀屋興宣、元東条内閣企画院総裁の鈴木貞一、元ドイツ駐在大使の大島浩、元イタリア駐在大使の白鳥敏夫、元東条内閣陸軍省軍務局長の佐藤賢了、元東条内閣海軍省軍務局長の岡敬純、日本ファシズム「日本青年党」首領、南京大虐殺事件に参与した橋本欣五郎ら16人。元東条内閣外相、元駐ソ大使の東郷茂徳は懲役20年に処され、上海停戦協定(中国では「淞滬協定」といわれている)に責任を負う元外相、南京かいらい政府駐在大使の重光葵は懲役7年に処された。
「チャイナネット」資料