8月13日に88歳で病死した傅一宗さんの遺骨から、家族が12個の弾丸のかけらを見つけた。
抗日戦争当時、傅さんは八路軍のある部隊で連隊の指導員を務めていた。1941年、日本軍との激しい戦闘中に、傅さんは敵方の機関銃に撃たれ、全身を負傷した。しかし傅さんは気にせず、傷を負ったまま戦闘を続けた。当時の八路軍の医療条件には限界があり、簡単な治療しかできなかったため、多くの弾丸のかけらが体内に残留した。
中華人民共和国の成立後、傅さんは病院で検査を受けた。レントゲン写真で、傅さんの体内に残った弾丸のかけらが33個に上り、最大のものはハトの卵ほどあることが分かった。弾丸のかけらの大部分はすでに骨に入り込んでいたため、手術では6個だけ摘出し、残りはあえて摘出しなかった。傅さんは平然として「体内に残った弾丸は、永遠に忘れられない記念にするよ」と話していた。
傅さんの家族は、遺骨から見つけた12個のかけらを大事に保管し、後世の人を教育するという。
「人民網日本語版」 2005年8月22日