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日本人タレントと私、 二人三脚で夢に向かって
発信時間: 2008-04-01 | チャイナネット

私が小松拓也を知ったのは2年前のことである。同じ夢を見ているのかもしれない私たちは、一緒に歩きはじめた。昨年4月、共に上海の地を踏んだときには、このオーディション番組の結果が、ここまですごいことになるなどとは思ってもみなかった。夢が、小松拓也と私を立ち上がらせてくれたのだろう。

今、怒涛のように過ぎ去ったこのオーディション番組の一部始終を思い返し、私はあらためて、たったひとこと心をこめて、彼に伝えたい。

ファンたちに支えられて

中国では周知の事実だが、『加油!好男児』は、多くの人々のサポートがあって初めて完走できるという性質のオーディション番組である。けれど、小松拓也が上海のステージに立ったとき、彼のことを知っている人は1人としていなかった。上海に友達もいなければ、親しい人もいない。それでも彼はひるむことなく、自分の力で1人また1人と中国人ファンの支持を得ていった。5人…10人…80人と小松拓也の後援会が誕生し、広がっていった。彼のファンたちは自らを「松果(松ぼっくり)」と名乗り(注:中国のファンたちは、タレントの名前から1字を取った名前をつける)、ずっと彼に伴走し、彼を守り続けた。

日本人出場者として、ほかの外国人出場者にはありえない、避けがたいプレッシャーもなかったわけではない。彼の中国語ブログやBBSには、彼をひどく傷つけるような言葉が少なからず書き込まれたこともある。しかし、彼は何一つ弁解しなかった。自分の夢を実現するためには、払わなくてはならない代価もあることを覚悟しているからだ。「あらゆることを黙って受け入れよう」と、中国に来る前から彼は心を決めていた。

オーディションでは、中国語の歌を歌わなくてはならなかった。これまでまったく聞いたことがないものばかりという中国語の歌を、限られた時間内にマスターすることが条件だった。3日間というわずかな時間で4、5曲は歌えるようにしなくてはならないことになった。彼は一生懸命に励みながらも、歌詞のイメージを正確に表現することができないことに思い悩んだ。「歌手として、歌詞の意味や感情を正確に伝えなくては」という思いで歌に取り組んだ。けれど、外国人である彼が中国語を正確に理解するのは、2日や3日でできるようなことではない。ましてや歌で表現するなど、できるはずがない。けれど、彼はそれをやってのけた。マネージャーである私に、またほかのスタッフたちに、愚痴ひとつ吐かずに。

3カ月にわたる番組を通じて、彼のファンは次第に増えていった。ルックスのみならず、彼の真心と彼の良さを理解してくれた人々である。

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