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外国小説賞に輝いた大江健三郎 その人と作品
発信時間: 2009-08-21 | チャイナネット

この言葉は、魯迅の『狂人日記』の最後のくだり『子供らを救え!』の悲鳴を連想させます。大江氏は明らかに、未来の象徴である「まだ生まれて来ない子供」が、もう「人が人を喰う」ような残酷な社会に出会わないよう望んでいます。

『憂い顔の童子』では、「妥協や妥協を望むことを知らず、次々と肉体や心に傷を抱える憂いの騎士、主人公古義人は、病院のベッドで深い昏迷に陥りながらも自分を傷つかせてくれたこの世界の和解と平和を祈ります。

北京大学講演会会場にて。北京大学の呉志攀副学長(右)、通訳を務めた北京大学日本語学部の翁家慧講師(左)



『さようなら、私の本よ!』(日本語版)のカバーの赤い帯には「絶望から始まる希望」と書かれています。これは魯迅の「絶望は虚妄だ。希望がそうであるように」に対しての新しい見解です。約50年前に発表した『奇妙な仕事』と比較すると、絶望の中で積極的に未来の希望を探し求め、ついに『﨟たしアナベル・リイ』では、星のきらめく天国にたどり着いて、絶望のうちにある人々に希望をもたらしました。

なぜなら、大江氏は、「魯迅が希望はあるのだ、と保証してくれていることではないか?」(『大江健三郎文学研究』10頁、天津百花文芸出版社、2008年刊)と深く信じており、また米国人の文学研究者エドワード・サイードが「世界の人間が、このままやってゆけるはずはないのだから、長い時がかかるにしても、パレスチナ問題は解決する」(同書11頁)とパレスチナ問題についても率直に発言しているからこそ、大江氏が魯迅文学に邂逅してからちょうど60年となる時期に、魯迅が底無しの絶望の中に探し求めても得なかった希望と光明を、とうとう『﨟たしアナベル・リイ』によって実現したのではないでしょうか。

大江作品の持つ独特の世界性と複雑性は、作品をより難解なものとしている。日本での大江作品の読者人口は決して多いとは言えないが、中国での現象はまったく異なり、大陸や台湾でも大江作品の読者は年々増加しているという。中国語翻訳本の出版事情を見ると、大陸だけで2008年には9作品がすでに出版されており、2009年には現段階(5月時点)で6作品がさらに翻訳出版されることが決定している。

 2008年度、大陸地区で『おかしな二人組(三部作)』(『取り替え子』『憂い顔の童子』『さようなら、私の本よ!』)『「自分の木」の下で』『緩やかな絆』『恢復する家族』『大江健三郎 作家自身を語る』『ヒロシマ・ノート』『個人的な体験•万延元年のフットボール』の九作品が簡体字で翻訳出版されています。台湾地区では、繁体字による『さようなら、私の本よ』と『大江健三郎 作家自身を語る』が出版されています。2009年度は私が把握しているだけで、大陸地区ですでに簡体字版で出版済のもの、今後予定している作品は、『﨟たしアナベル・リイ』『沖縄ノート』『「新しい人」の方へ』『読む人間 読書講座』『政治少年死す』『同時代ゲーム』があります。また台湾地区繁体字版では『﨟たしアナベル・リイ』『沖縄ノート』『読む人間 読書講座』があります。このように、出版事情から見ても、大江文学が中国で広く注目されているのは事実と言えるでしょう。

すでに出版された大江作品の中国語訳の一部


実は、1995年から数年間、大陸地区で大江作品は翻訳出版ブームでした。これは大江氏が1994年にノーベル文学賞を受賞されたことと関係があります。読者は、過去にほとんど翻訳出版されていなかった大江作品を急いで読みたいと思いましたが、このブームはすぐに収束してしまいます。主な原因として、多くの読者が大江作品は読むのが難しいと考えたこと、そして当時の翻訳本の質と大きな関係があります。

翻訳者の大部分は、大江氏自身とその作品についての知識を持ち合わせておらず、大江作品の基礎研究ならび複雑で難解な大江文学の翻訳は話になりませんでした。この翻訳の質の問題以外に、当時は中国における大江文学研究もまた、少ないものでした。中国の日本文学研究の権威、葉渭渠教授は、その現状を「わが国の大江文学に対する研究はほとんど空白の状態だ」と指摘しています。

以上、二つの原因により、大江文学は中国大陸地区でのブームは数年間で収束してしまいます。

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