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ある華人家庭の震災時の生活 |
発信時間: 2011-03-30 | チャイナネット |
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自宅にいる王永傑さん夫妻 11日のその日、東京のタクシードライバーの王永傑さんは出勤して車に乗車したばかりだった。天気の良い日で午後はすこし眠くなったので、ある小さな公園の傍らに停車して煙草を吸って同僚としゃべっていた。暫くして車が揺れているのに気がつき、「地震だ」と思ったときその揺れはますます激しくなり、依然運転席に座っていた彼と同僚は、車のドアにつかまって外に飛び出した。 彼は本能的に公園の中心に走って行ったが、そこには一人の老婦人が座ったままで、驚きのあまりふるえていた。手に持っていた麵のカップから麵が半分こぼれていた。 王永傑さんと同僚は、今起きたのが尋常ではない地震である事を意識した。その後電車は運行不通となり、東京都の全ての交通機関が直ちにマヒ状態に陥った。急いで帰宅しようとあせるサラリーマンは車かタクシーで帰るしかなく、道路の脇には車を止めるかタクシーを呼ぼうとする人でいっぱいになり、車が止められない人は仕方なく歩いて帰るほかなかった。当日6時間歩いてやっと帰宅した人もいた。 王永傑さんは午後三時に始めて二日目の朝六時半まで計18人の客を乗せた。二日目の朝には乗客に対して、もう運転できない、本当にだめなんだ、交代のために会社に帰らなければならないので、と言った。客は車の前に立って出発させず、或る客はひざまづこうとさえした。 王永傑さんはこんな状況には今まで遇った事はなかった。 |