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日本開拓団の移民の中国東北地区での暮らし
発信時間: 2011-08-03 | チャイナネット

「九・一八事変」(満州事変)以降、日本の帝国主義的な軍事戦略により、長期にわたって、中国東北地方への開拓団(農民)による入植が行われ、実質的な植民地支配が行なわれた。

黒竜江省社会科学院歴史所の研究者によると、日本の「開拓団」の中国入植は1905年から始まっており、最初は試験移民、次に武装移民、そして国策である満蒙開拓団と徐々にその規模を増やしていった。「九・一八事変」から敗戦に至る15年間、中国東北部における植民地支配が行なわれた期間中、農業だけでなく、政治、工業、商業、文化などに関わる人員が続々と移住し、その数は100万人以上に上ったと言われる。

 

「満州開拓団移民の父」と呼ばれる東宮鉄男は、1892年、群馬県にある富農の家に生まれた。日本陸軍士官学校27期を卒業し、かつて自費で中国の広東省を視察に訪れ中国語を学んでいた。日本軍の中では「中国通」だった。

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年8月3日

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