黒竜江省方正県にある中日友好園林内にある旧満州開拓団の合葬墓(新華社記者・潘祺撮影)
「日系企業を誘致したいがため、黒竜江省方正県政府は70万元を投資し、中国の侵略者である旧日本軍の慰霊碑を建てた」という内容が30日、あるミニブログへ書き込みされた件に関して、早くもネット上で物議を醸しているようだ。このミニブログの内容によると、黒竜江省方正県政府はGDP成長と「政府の業績」を求めるため、70万元もの財政支出を行ない、中国の侵略者である旧日本軍の慰霊碑を建てた。その目的は、日系企業の投資誘致に積極的に取り組むためである、としている。中国語の「碑」と「悲」は、発音が同じことから、この一件は「中国の碑(悲)劇」と呼ばれるようになっている。
中国国営の通信社「新華社」のネット版「新華ネット」の記者が31日午後、黒竜江省方正県を取材訪問している。洪振国・常務副県長によると、今回、方正県政府は50万元を財政支出し、2つの石碑を建立している。ひとつが敗戦後の混乱期に同地で亡くなった旧満州開拓団員の氏名を刻んだ「日本開拓団民亡者名録」、もうひとつが残留孤児を育てた中国人養父母の名を刻んだ「中国養父母逝者名録」で、いずれも外交部からの認可を得たものである。
方正県政府外事辧公室の王偉新主任によると、「九・一八事変」(満州事変)以降、日本の帝国主義的な軍事戦略により、長期にわたって、中国東北地方への開拓団(農民)による入植が行われ、実質的な植民地支配が行なわれた。
黒竜江省社会科学院歴史所の研究者によると、日本の「開拓団」の中国入植は1905年から始まっており、最初は試験移民、次に武装移民、そして国策である満蒙開拓団と徐々にその規模を増やしていった。「九・一八事変」から敗戦に至る15年間、中国東北部における植民地支配が行なわれた期間中、農業だけでなく、政治、工業、商業、文化などに関わる人員が続々と移住し、その数は100万人以上に上ったと言われる。