王偉新主任によると、敗戦時、中国東北部に残っていた高齢者や女性・子どもを含む開拓団はみな、集団での引揚げを余儀なくされた。当時、方正県は多くの開拓団民が集まり、1万5千人に達していた。長期にわたる引き揚げの途中で、飢餓や伝染病から、5千人以上が、同地で息絶えたという。その遺骨は方正県の人々によって集められ、中日友好園林内の合葬墓「日本人公墓」に埋葬されている。続々と祖国を目指した開拓団の中で、女性や子ども等、この方正県に留め置かれた者も多かった。4,500人以上とも言われる残留婦人や残留孤児に対し、方正県の人々は、過去の遺恨を水に流し、救いの手を差し伸べ、自分の養子にするなど厚く世話をしたそうだ。今では、方正県の華人・華僑および帰国華人の親族の数は、黒竜江省内で最も多い県となっている。
洪振国・常務副県長は「方正県政府が慰霊碑を建てたのは、経済的な目的のためではない」と述べている。毎年、多くの日本人が墓参りのために方正県の中日友好園林を訪れるという。慰霊碑の建立は、方正県を訪れた残留孤児帰国者に養父母の名前を見てもらうためであり、また中日間で起こった歴史を後世の人に伝え、中国人の広い心を感じてもらうためである。「我々は、過去への反省や平和への祈りを込めてこの石碑を建立したのだ」と、洪振国・常務副県長は述べている。
王偉新主任は、「開拓団は日本軍とは違う。開拓団は入植行為を以って中国を侵略したが、同時に彼らも日本の帝国主義の被害者だったのである。旧満州開拓団員の氏名を刻んだ『日本開拓団民亡者名録』には軍人の名前は1つもなく、日本の帝国主義の犠牲となった開拓団員の名前しか彫られていない」と述べている。
洪振国・常務副県長は「犠牲となった旧満州開拓団員の氏名を石碑に刻んだのは、ここを訪れた日本人に、戦争が原因で死んでしまった彼らの先祖がここに葬られていること、また彼らの先祖が、中国の侵略者であり、日本政府の被害者であったことを認識してもらいたいからである。方正県は、より多くの中日の国民に、歴史上の教訓を生かし平和を築いていくことの大切さを伝えていこうと思っている」と述べている。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2011年8月1日