飾られた神話:実は死を恐れていた神風特攻隊員

飾られた神話:実は死を恐れていた神風特攻隊員。 実際のところ、神風特攻隊員を英雄の化身と捕らえている日本人はそれほど多くない。知覧博物館に展示されている神風特攻隊員もみなが知っているそれとは全く違うもので、彼らの中には、確かにその玉砕機の前で誇らしげにしている者もいるが、大多数の表情から見て取れるのは一種のあきらめである…

タグ: 第二次世界大戦 神風特攻隊 米軍

発信時間: 2011-08-01 13:30:21 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

沖縄沖海戦で米艦艇にぶつかる神風特攻隊の「自殺機」

資料写真:沖縄沖海戦で米艦艇にぶつかる神風特攻隊の「自殺機」

仏『世界報』によれば、日本の九州南部の知覧町に「知覧特攻平和会館」があり、そこには1000枚以上に及ぶ神風特攻隊員の写真や遺書が陳列されているという。そこから読み取れる悲痛さは、多くの人が経験した事のないものであろう。

◇出発前の作られた落ち着き

5人の神風特攻隊が楽しそうに微笑んで写っている1枚の写真がある。その中の一人は、隣の女性と仲よさそうに腕を組んでいる。この女性の名は鳥浜トミ、5人の隊員達はよく彼女の店に食事に来ていた。鳥浜トミさんは、もうすぐ死に行くこの5人をとても可愛がっており、彼らの方でも、互いにその出発のとき、彼女の前では絶対に悲しい顔はしないでおこうと約束していた。出発の前夜、隊員の一人が「私の残りの寿命を(トミさんに)あげます」と言ってくれたことを彼女は今でもはっきり覚えている。89歳になる彼女は記者に対し「私がこんなに長生きできるのはあの子が寿命をくれたおかげなんです」と語る。また、別の隊員は彼女に「死んだら蛍になって会いに来る」と言ってくれた。それ以来、彼女の店の名は「蛍」となった。

実際のところ、神風特攻隊員を英雄の化身と捕らえている日本人はそれほど多くない。知覧博物館に展示されている神風特攻隊員もみなが知っているそれとは全く違うもので、彼らの中には、確かにその玉砕機の前で誇らしげにしている者もいるが、大多数の表情から見て取れるのは一種のあきらめである。

彼らの多くは軍事学校の生徒で、出発前に政府の要求に基づいた遺書を書かされている。そこには「国のために身を捧げることをいとわない」とあるが、これはただの対外的なもので、彼らの本心は家族に宛てた本物の遺書の中に綴られている。「自分に『少なくとも自分たちは英雄だ』と一生懸命言い聞かせている。」中田という隊員は「絶望が我々を導いていく」と書いており、他にも「自分で天皇のために死ぬことを決めたのではない、そう決められてしまったのだ」と綴っている。

「愛国とは一体何なのか、数百万人が別の数百万人の命と自由を奪うことなのか」これを書いた隊員は佐々木という名で、1945年4月に玉砕機で命を落とした。22歳だった。

◇清算された生存者

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