資料写真:第二次世界大戦で、神風特攻隊の「自殺機」に命中された米空母
◇清算された生存者
日本がこの戦争で勝てないことは、ほとんどの者がみな分かっていた。しかし、自分の死で米軍の日本攻撃を停止させられればとも考えていた(1944年3月、米軍は東京大空襲を実行し、10万人の死者を出した)。「明日出発します。父上、私が父上のためにできることは少ないですが、これが唯一できることです。」隊員から家族に宛てた一通の遺書にはこう書かれていた。
また、「多くの人が我々は天皇のために死に行くと思っているが、実際は命令されてこうするしかないだけだ。社会的圧力というのは本当に大きなものだ。」と書いている遺書もある。深川という隊員は「玉砕機に乗る前夜、神風特攻隊員達は何度も寝返りを打ち、眠れないようだ。戦友たちもみな、彼らと話をする勇気もない。」
深川隊員は、ある神風特攻隊の責任者を命じられた経歴を持ち、もし天皇の玉音放送があと数日遅れていたら、彼も上空で犠牲になっていた。彼によれば、大多数の隊員たちの飛行時間は100時間未満で、しかも玉砕機は一切の救命装備が外されており、乗ったら最後、もう二度と戻ってこれない状態だった。「20代そこそこの若者が突然『お前はもう生きられない、死ななければならない』と宣告される、そんなこと、誰だって耐えられない。」
敗戦2日にして、日本政府の神風特攻隊に対する態度が一変する。神風特攻隊は日本の恥とされ、多くの隊員たちは米軍の感化員に入れられ陵辱を受けた。また、特攻隊の多くの生存者たちも仕事の機会を失い、一部、茶道の千宗室や彫刻家の流政之等、幸運にも著名な芸術家となった者を除いて、ほとんどがその一生を棒に振った。