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japanese.china.org.cn | 14. 04. 2013 |
4月9日早朝、アメリカ首都ワシントンD.C.の河畔で桜が開花した。
「桜外交」は最初から順調だったわけでない。1910年に初めて送られた桜の苗木は、ワシントンに到着した頃にはおびただしい数の害虫が発生し、焼却を余儀なくされた。それから2年後、日本政府の懸命な努力の末、3000株以上の苗木が検疫に引っかかることなく、無事にワシントンに到着した。春になったとは言えどまだ寒さの感じられるワシントンで、タフト大統領夫人と当時の駐米日本大使夫人による植樹式が行われた。この時、河畔のシンボルであるリンカーン記念館とジェファーソン記念館はまだ建造されていなかった。1927年春、学生による桜の集団植樹のイベントが開催され、ワシントンの桜祭りの起源となった。
ワシントンの桜が日米関係の影響によるしわ寄せを避けらないときもあった。第二次世界大戦期間中、日米関係は緊迫し、1941年の真珠湾攻撃の4日後、4本の桜の木が何者かによって切り倒された。同様の事件が再び起きないよう、米政府は「日本桜」という呼び方を「東洋桜」に変えざるを得なかった。
これまでの半世紀、国交には徐々に自然や文化に対する愛好心が戻り、活動もより生き生きとしたものになっていった。桜祭りは少しずつ、ワシントンで最も賑やかで有名な観光・文化イベントへと発展し、毎年数百万人に上る国内外の観光客を引きつけている。
桜とワシントンの縁は一部の人から始まり、国民全体へと広まった。1982年、日本の園芸家は洪水で破壊された桜の木の植え替えのためにワシントンの桜から、800本近くの挿し木を取っている。2011年には、樹齢百年に上るポトマック河畔の桜から採取された標本が日本に送られ、遺伝子(DNA)分析による起源の調査が進められている。
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