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japanese.china.org.cn | 05. 12. 2014

段月萍さん:最初の「南京大虐殺」史料収集者

タグ: 南京大虐殺 段月萍 生存者 東史郎

記念館で副館長を務めていた時には、段月萍さんは多くの日本人を受け入れた。進歩的な学者もいれば、大学や小中高の教員、一般の市民もいた。元日本兵の東史郎を受け入れたこともある。最初は抵抗があったが徐々に理解を深め、段月萍さんは、これら多くの正義を信じる日本人と友情を結んだ。

1985年に記念館が開館すると、日本人の参観が後を絶たなくなった。ある時は一日で3つの団体を受け入れたこともある。「案内の時間が長すぎて立っていられなくなったこともあった」と段月萍さんは当時を振り返る。

最も忘れがたいのは1987年12月、東史郎を初めて案内した時のことだ。髪は黒々とし、顔は赤みがさし、目はらんらんとしていて、とても75歳の老人とは見えなかった。だが表情は暗く、悩ましい。どうしたのかと聞くと、東史郎はこう答えた。「50年前の今日、この時間に、我が部隊は中山門から入城し、南京の掃蕩を行った。私は心のうちで苦しみ、南京の人々にすまないと思っていた。戦後になって中国に来るのはこれが初めてだ。私は、南京の人々に顔向けできないことを多くした。電車が南京に近付くにつれ、私の心は恐れで満たされた。南京の人々がこの東洋の鬼を恨んでいるのではないかという恐れだ」

「東史郎と最初に会った時には正直、私も抵抗がありました。彼の両手は南京人の血で染まっているのですから」と段月萍さんは語る。だが交流が深まるにつれ、東史郎が心から悔いていることがわかった。特に80歳の高齢になっても日本の右翼の圧力に屈せず、攻撃や罵倒、威嚇を恐れず、公正を欠いた判決にもめげなかった東史郎の姿を見て、多くの南京人が心から彼を許すようになったという。

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2014年12月5日

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