日本の福岡県の九州大学キャンパスで4日、医学歴史観が正式にオープンとなった。同館には、同大教授が1945年に行った米国人捕虜の生体解剖についての資料も展示されており、高い注目を集めている。
九州大学は長期にわたって、同大教授による第二次大戦中の犯罪をタブー視し、公の場でこの話題に触れることを避けてきた。だが同大教授らは最近の会議で、大学の歴史における黒暗の1ページも直視すべきだとの意見で一致した。
臓器を切除しどれだけ生存できるかを観察
九州大学キャンパスに設けられたこの医学歴史館は、同大医学部の100年余りの発展史を伝えるものだ。
日本共同通信社の報道によると、博物館にはカルテや医療器具など63点が展示されている。このうち2点は、九州大学医学部の教授が第二次大戦中に8人の米国人捕虜を生体解剖した経緯を説明する資料である。
1945年、米軍のB29爆撃機が福岡の上空で撃墜され、多くの米国人搭乗員が捕虜となった。当時、何人の米国人搭乗員が日本側の捕虜となったかは謎だが、九州大学医学部の教授によって8人が生体解剖されたことは確認されている。
医学実験とされたこの生体解剖では、九州大学医学部の多くの教授が、米国人搭乗員の体内に薄めた海水を注入したり、肺などの臓器を切除したりし、どれだけ生存できるかを観察し、立ち会った学生に「注意事項」や「要点」などを解説した。米国人搭乗員8人はすべて死亡した。
朝鮮戦争勃発で全員が釈放
第二次大戦終結後、連合軍は東京や横浜、マニラなどの法廷で日本の戦犯を裁いた。この生体解剖事件では、1948年3月11日、30人の日本人が人体の内臓を違法に切除し、米軍捕虜の内臓を食用にしたなどの罪で、横浜の法庭で審問を受けた。













