日本政府は今月1日、新元号「令和」を発表しました。これは平成という時代の終わりと令和の始まりを意味しています。
平成の30年間を振り返ると、日本社会の人口構造、家庭のあり方、雇用制度、社会の考え方に大きな変化が生じました。そのうち注目すべき変化は、「団塊の世代」から「低欲望の世代」への世代交代です。
戦後の1947−49年の第一次ベビーブームの出生数は計700万人に達し、「団塊の世代」と呼ばれるようになりました。団塊の世代は戦争によるモノの不足を体験し、日本経済の台頭と国民生活水準の向上を目の当たりにし、日本経済の成長に重要な貢献を成し遂げました。
この世代の人々は、国と企業のため犠牲になりました。男性は企業に忠誠心を持ち、残業が常態化し、家族と付き添う時間があまりありませんでした。大半の女性は結婚もしくは出産後に仕事を辞め専業主婦になり、職業生涯に大きな影響を受けました。ところが経済発展と所得増が続き、住宅、自動車、家電、ブランド品、海外旅行などの消費と需要が日本経済を後押ししたため、この世代の日本人は仕事が忙しくても夢と目標があり、達成感を手にしていました。
平成になると日本はバブル経済の崩壊により、「失われた十年」「失われた二十年」を迎えました。これと同時にさまざまな社会問題が生じました。
バブル経済のピークに生まれた新世代の日本人は、優れた生活条件を手にしていましたが、卒業し社会人になる際に「就職難」に直面しました。正社員になれず派遣社員になる人が多く、さらに一部の人はワーキングプアや親のすねかじりになりました。ライフスタイルの変化は、彼らの人生・価値・結婚・子育てに関する考え方に影響を及ぼしました。
彼らはマイホームもマイカーも購入せず、ローンを組まず消費を控えるライフスタイルを選択しました。晩婚、独身、子供を作らない、作っても少人数という若者が増えました。またインターネットの急発展により、一部の若者は自分の興味に没頭し、社会で競争する意識と意欲が弱まりました。
日本の有名なマネジメント専門家である大前研一氏はこれを懸念し、物欲がなく志がなくやる気がなく、リスクを嫌い消費に消極的な日本の若者に「低欲望の世代」という名称をつけました。低欲望の世代は日本の人口構造や企業経営などに恐ろしい衝撃をもたらし、日本の経済成長の力を失わせると考えました。
令和になると、団塊の世代が徐々に歴史の舞台から姿を消しますが、低欲望の世代は日本をどこに向かわせるのでしょうか。私たちはこの問題について注目し、考えるべきでしょう。