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japanese.china.org.cn |11. 06. 2024

端午節の中国書画鑑賞-彭世強懐旧美術作品100選展を訪れて

タグ: 書画 美術 作品
中国網日本語版  |  2024-06-11

文・写真=小林正弘

清華大学法学博士 

Genuineways Law Firm パートナー

端午節を迎える6月初旬、中国著名画家・彭世強先生(1942年に徐州で生まれ、1945年から北京在住)の書画展を鑑賞するため、北京の南西、河北省保定市涿州市にある彭先生の別荘を訪問する機会に恵まれた。涿州市は桃園の誓いが結ばれた場所として三国志ファンには有名な場所であるが、北京からは50キロ程離れており、交通の便はそれほどよくない。当日は大雨であったが有難いことに彭先生の奥様で著名な鼻煙壺画家・鄭旭曄先生が車を手配してくださり、友人の賀先生の案内で彭先生の別荘まで辿り着くことができた。小豆色の四合院造りの別荘には家族や友人が宿泊するための寝室だけでなく、彭世強先生の作品を展示する専門の展示スペースが設けられている。

展示スペースに入り真っ先に目に入ってきたのは周恩来総理が1955年にバンドンで開催された国際会議に参加した際の情景を描いた『バンドン会議の周総理』(1966年作)であった。当時、24歳だった彭先生が敬愛する周総理を一気呵成に描き倒れた創作背景を鄭先生が熱心に説明して下さった。同作品以外にも、1966年に河北省で発生した邢台大地震の被災者を慰問する周総理の版画草稿など、周総理の面影だけでなく、人民のために粉骨砕身で尽くした姿と精神を伝える作品を拝見し、深い感動を覚えた。

展示スペースには他にも黄金の夕日に染まる壮大な万里の長城、当時の庶民の生活を映し出す胡同、前門の風景画や書画など、彭先生が1960年代から90年代に創作した100点あまりの珠玉の作品が展示されており、鄭先生が丁寧に一つ一つ説明をして下さった。当時の時代背景や今ではもう見れない美しい北京の風景を生き生きと伝える彭先生の作品を鑑賞していると自分がタイムスリップしてその場に立っているように感じられた。

彭先生の作品を一通り鑑賞し終えると、彭先生のご家族と一緒に白酒を嗜みながら家庭料理を沢山ご馳走になった。もうそろそろお腹がいっぱいになってきたところで、鍋の中から出来たての粽(ちまき)が出てきた。あんこの入った北方の粽である。葦の葉の香りと控え目な甘さに不思議と食が進む。

彭世強先生(左)との記念写真(撮影:鄭旭曄先生)

食事を終え、彭先生からサインをして頂いた『新中国美術彭世強』作品集を携え帰路に着いた。大雨は止み、雲の隙間から青空が覗いている。端午節休暇期間に同作品集を拝見し、作品の水準の高さは言うまでもないが、その膨大な量に驚かされた。作品集には彭先生が動乱の少年時代に勉学に励み、大志を抱いて美術の道に進んだ背景が説明されていた。彭先生が「人民の画家」として歩み通してこられた人生に感動と尊敬の念を禁じ得ない。「わが心に善いと信じることなれば、幾度死すとも決して悔いることはない」(『離騒』)との屈原の言葉が胸に響いた。

「中国網日本語版(チャイナネット)」2024年6月11日