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japanese.china.org.cn |24. 06. 2024 |
第461回・德立墨芳中日友好植樹会に参加して
文・写真=小林正弘
清華大学法学博士
Genuineways Law Firm パートナー
6月15日、早朝6時50分頃、履き慣れた運動靴を履き、自宅から德立墨芳植樹ボランティア団体の第二集合場所となっている地下鉄西二旗駅付近の駐車場へ向かった。毎週2回、この駐車場から植樹活動に参加するボランティアが専用バスに乗り込み、250キロ離れた蒙古高原の南縁、河北省張北緑化基地にて植樹活動が行われている。中日交流フォーラム副会長、德立墨芳植樹ボランティア団体の廖理純団長が、一部協賛金を除き主な経費を自ら負担し、12年間継続してきた植樹活動は今回で第461回を数える。これまでの累計参加者数はのべ1.6万人、130万余株が植樹され、専用バスの総走行距離は地球8周を越える。
集合場所で中国人参加者と雑談をしていると、前日に香港から北京入りした廖団長も到着した。多くの日本側参加者が乗っているバスと合流し、総勢22名の日中合同ボランティアの一団がいよいよ緑化基地へ向かって出発した。
高速道路で3時間半程の行程では、張副団長の快活な司会と李先生の名通訳の下、子供連れのご家族、学生、会社員、すでに退職した年配の方々が一人ひとり自分の人生で誇れる経験をシェアする自己紹介を行い、バス内はすぐに打解けたムードに包まれた。その後、カラオケ、植樹の注意事項、睡眠休憩などをしているうちに、あっという間に時間が過ぎ、窓の外の景色は遠くの山まで見渡せる高原へと変わってゆく。
無駄な枝や葉を切り落としていくことの重要性を丁寧に説明する廖団長(左から1人目)
海抜1500メートルに位置する張北緑化基地に到着すると、北京市内より気温が10度程低く、澄んだ涼風が心地よい。青空に浮かぶ雲は近くに感じられ、日差しは強烈だ。参加者には麦藁帽子、軍手、剪定道具が用意されており、午前中は4グループに分かれてひたすら剪定作業に取り組んだ。廖団長は、砂漠化が進む水が乏しい場所では、苗木が最小限の水分で上に高く成長するために、無駄な枝や葉を切り落としていくことの重要性を丁寧に説明してくれた。太い枝になると大人3人がかりでも骨の折れる労作業であったが、参加者は互いに助け合い、子供たちも真剣に取り組む姿が深く心に残った。
楽しい昼食休憩を挟み、午後からはいよいよ植樹作業がスタートした。スコップで高さ2メートルほどに成長した樟子松の苗木を埋めるために60センチの穴を掘らなければならない。筆者を含め農作業に慣れていない多くの参加者は悪戦苦闘していたが、ベテランの中国側参加者のサポートのお陰で、なんとか全員が苗木を植えることができた。樟子松の寿命は200年程といわれる。樟子松の苗木が大地にしっかりと根を張り、大きく成長してほしいとの思いを込めて、丁寧に剪定作業を行い、自分の名前の刻まれた記念プレートを苗木の根元に埋めた。
帰りのバスの中では、参加者全員が順番に植樹活動の感想をシェアしあった。「地球を救う活動に参加できてよかった」、「また参加したい」、「日中の友人が共に防風と砂漠化防止のために汗を流してくれたことに心から感謝」、「新しい日本語、中国語を覚えることができた」など、都市部での生活では体験できない心地よい労働活動と充実した友好交流を物語る嬉しいコメントが溢れた。北京日本クラブの川邊誠副会長は、本格的な植樹活動に参加できた喜びと共に今後も中日友好植樹会を共同で開催したい旨の希望が表明された。最後に、廖団長はこの申し出を快諾する共に、自身の植樹活動の原点として、遠山正瑛氏の始めた植林活動を参加者と一緒に振り返った。2004年に逝去された遠山氏は生前に内蒙古恩格貝にて300万本のポプラ植樹を行い、年間降水量わずか約20ミリの砂漠地帯を年間降水量約300ミリのオアシスへと変えた。自身は直接、遠山氏に会う機会はなかったが、同氏の精神に心底敬服させられ、深い影響を受けた。今後もこのような植樹活動を通じて多くの方々に「一定程度、人は自分の両手で環境を変えられる」ことを実感してもらいたい、と熱く語った。
(この写真は德立墨芳植樹ボランティア団体の張副団長が提供)
今回の德立墨芳中日友好植樹会は、日本側の北京和橋会、北京日本俱楽部、中国側の德立墨芳植樹ボランティア団体、中日交流フォーラムの共同企画として計4回にわたり開催された。植樹ボランティアによって蒙古高原に樟子松の苗木が植えられただけでなく、参加者の心の大地にも万古長青(松の葉の如くいつまでも青々として変わらないこと)の日中友好の精神が植えられたに違いない。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2024年6月24日