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| japanese.china.org.cn |07. 07. 2025 | ![]() |
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平和への思い深める平山郁夫生誕95周年記念座談会
文・写真=小林正弘
清華大学法学博士
Genuineways Law Firm パートナー
6月25日、著名な日本画家・平山郁夫氏(1930年6月生)の生誕95周年を記念する座談会が北京外国語大学内の北京日本学研究センターにて開催された。日中友好協会会長の宇都宮徳一郎氏が祝福のメッセージを寄せ、1992年から16年間、同会長を歴任した平山氏の遺志を継承し、子々孫々の日中友好を発展させる誓いを表明し、中国側の参加者が平山氏の偉大な生涯と日中友好交流の多大な功績の数々を回顧した。
通訳として平山夫妻と幾度もシルクロードを旅した元北京大学教授の賈恵萱氏(中日友好協会友好交流部)は新疆で砂嵐に見舞われた後、平山氏に怖くなかったか尋ねたところ「シルクロードで死ねるなら本望です。私の人生の支えは玄奘であり、玄奘に学び、たとえ破産しても中国の文物を守らなければならない。これは人類共同の財産だ。私は文化保護の赤十字をやる」と語ったエピソードを紹介し、敦煌莫高窟を含む数々の文化保護事業を挙げながらその偉大な功績を讃えた。
岩彩画家の林江東氏は、平山氏の仏教とシルクロードを題材とした代表的な作品を紹介し、戦争経験と原爆後遺症の激しい苦しみの中から生まれた平山氏の作品は生命の尊厳への畏敬、文化多様性への尊重、そして人類の平和共存への深い祈りに満ちており、その精神はこれからも世界を照らし続けると語った。
座談会では清華大学教授の劉江永氏が保管していた平山氏と元文化副部長の劉徳有氏が共同で製作した書画(四方に日中文化祭の揮毫、真ん中に富士と日の出の絵)が北京日本学研究センターに寄贈された。同書画は2004年10月、平山氏が北京を訪れた際、北京大学と清華大学の学生が企画していた日本文化祭のシンボルにできればとの劉教授の提案を平山氏が快諾し即興で作成されたもの。94歳になる劉徳有氏も長文のメッセージを寄せて当時の様子を振り返った。また1995年に平山氏が中国人犠牲者の慰霊と日中友好の新たな出発の意義を込め尽力した南京城壁修復活動にて「日中両国は二千年にわたる交流の歴史を持ち、日本は文化的に中国から多くの思想を吸収してきた。近代に入り、ある時期には日本が中国を侵略し、中国人民に大きな災禍をもたらした。私たちは過去を心に刻み、改めて反省し、不幸な歴史を繰り返してはならない」と語ったことを紹介し、現在の中日関係は、戦後、両国の人々の不断の努力によって構築されたことを決して忘れてはならないと述べた。
北京日本学研究センター元センター長の徐一平氏は、90年代に平山氏が同センター図書館(中国最大級の日本研究専門図書館)を訪問した際の写真を紹介。また図書館には平山氏の著書が多数所蔵され、学生達に広く読まれていることを指摘し、「平山氏の精神は今も、日本語教師や日本研究者を育成する当センターに脈々と受け継がれている。この精神を引き継ぎ発展させることが極めて重要である」と強調した。
敦煌の守り人・常書鴻氏の孫、中央美術学院建築学院副院長の崔冬暉氏は、平山氏が母・常沙娜氏との対談の中で、日本画のルーツは中国画にあり、中国伝統絵画の影響がなければ、日本特有の画風は生まれず、自身も幼い頃から中国画の模写を通じて中国を学び、中国の訪問を夢見てきたと語ったエピソードを紹介した。これに対し、中国国歌を作詞した田漢の孫・田漢基金会秘書長の欧陽維氏は、田漢が青年時代の日本留学で演劇を学び、中国話劇の起源になったエピソードを紹介し、両国の文化交流の重要性を訴えた。
最後に劉江永氏は、第二次世界大戦終結80周年を迎える今日、戦乱の絶えない世界において、平和を希求し文化の力で日中友好に多大な貢献をされた平山精神に学ぶことは現実的な意義がある。中日両国民が友好の旗を高く掲げ、より一層の文化交流に尽力し、人類が新たな世界大戦を回避するために歴史的貢献をしなければならないと参加者に呼びかけた。
座談会は北京外国語大学日語学院・日本学研究センターと中国中日関係史学会が共催し、約50名が出席した。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2025年7月7日
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