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| japanese.china.org.cn |04. 09. 2026 | ![]() |
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成都大空襲の民間賠償請求の被害者 「生きているうちに日本政府から謝罪を受けたい」
記者がこのほど、中国西南大空襲被害者対日訴訟団の弁護士から得た情報によると、当時、対日訴訟に参加した重慶、成都などの大空襲被害者原告188人のうち、成都大空襲を受けた現在も存命なのは蘇良秀さんと達朋芳さんの2人のみとなった。当時の人々が次第にこの世を去る中、日本による第二次世界大戦中の中国民間人に対する無差別爆撃への謝罪と賠償はいまだ実現していない。新華社が伝えた。
1941年7月27日午前11時45分、108機の日本軍爆撃機が4回に分かれて成都市街地に爆弾を投下した。蘇さんの祖母、母、叔母、弟2人を含む6人の親族がその場で死亡し、本人も爆発で脚に重傷を負った。その傷痕はいまなお痛々しく残っている。
空襲当時、達さんはわずか3歳だった。彼女の叔母を含む3人の親族が爆撃で死亡し、避難中に腕を負傷したが、適切な治療を受けられず、一生に渡る障害が残った。「日本軍の侵略者には人間性がありませんでした。人が密集している場所ばかりを狙って爆弾を落としたのです」と達さんは語る。「左腕が上がらず、一生身体が不自由なままです」
記録によると、日本軍は1938年から44年にかけて、中国西南部の後方地域に大規模無差別爆撃を行った。成都だけでも1700人以上の民間人が死亡、3500人以上が負傷し、80余りの街区が破壊され、1万5000戸の家屋が焼失した。重慶での被害はさらに甚大で、日本軍は累計1万8000発以上の爆弾を投下し、3万2000人を超える死傷者を出した。
武器を持たない多くの一般人が空襲によって家族と住まいを失ったが、極東国際軍事裁判では、日本軍による民間人への無差別爆撃という人道に対する罪について起訴・追及は行われなかった。
2005年以降、大空襲の生存者、国内外の学者、弁護士らが協力し、民間による対日訴訟を起こした。06年3月には、重慶、楽山、自貢出身の被害者40人が東京地方裁判所に最初の訴状を提出。07年には成都大空襲被害者賠償請求団も訴訟に加わり、その後3回にわたる追加提訴を経て、四川・重慶各地の被害者および遺族188人が原告となった。彼らは日本政府に対して、歴史を直視し、公式に謝罪し賠償するよう求めた。
成都大空襲犠牲者の遺族である楊小清氏は2025年末、日本の東京地方裁判所による同訴訟の一審判決書を成都市档案館(公文書館)に寄贈した。この85ページに及ぶ法律文書は、日本の司法として初めて、重慶、成都、楽山、自貢、松潘に対する日本軍の無差別爆撃と無辜の民間人殺傷という歴史的事実を法的観点から正式に認定した。しかし、判決は被害者側の謝罪・賠償請求を退け、その後、日本の三審制においても一審判決が維持された。
2025年12月25日に成都市档案館で撮影された、日本の東京地方裁判所による重慶、成都などの大空襲の中国人被害者による対日訴訟の一審判決書原本。新華社記者・唐文豪撮影。
高齢となった達さんは、「生きているうちに日本政府から謝罪を受けたい」と語る。「彼らが引き起こした侵略戦争を世の人々に知ってもらいたい。中国人と被害者に対して謝罪し、賠償しなければなりません」
「中国網日本語版(チャイナネット)」2026年9月4日
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