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japanese.china.org.cn |10. 09. 2026

「毒ガス島」の罪は隠蔽できない――日本の大久野島を訪ねて

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「人民網日本語版」  |  2026-09-10

日本・広島県の大久野島(9月3日、撮影・陳沢安)

広島県竹原市の大久野島は、瀬戸内海に浮かぶ面積わずか約0.7平方キロメートルの小島だ。現在、島内には野生のウサギが数多く生息していることから「ウサギ島」とも呼ばれ、観光客をひきつけている。しかし、ここは戦時中、日本軍の毒ガス工場が置かれ、大量の毒ガスを製造し、罪なき無数の人々の命を害した、まさに「毒ガス島」であった。新華社が伝えた。

新華社の記者は先ごろ、日本の民間歴史研究団体、日本の学生、日本在住の中国人留学生らとともに大久野島を訪れた。

日本は戦時中、毒ガス戦に向けた完全なシステムを構築した。大久野島の工場が毒ガスの製造を担い、九州地区の曽根製造所が毒ガスを砲弾などに充填し、千葉県の日本陸軍習志野学校が毒ガス戦に従事する人員の訓練を担当した。

化学兵器の製造は、「ジュネーブ議定書」に違反する。世界を欺くため、毒ガス工場の建設から戦争終結に至るまで、大久野島における毒ガスの製造状況は終始秘密にされた。島内の毒ガス資料館によると、当時、大久野島では24時間態勢で警戒が行われ、対岸の海岸線沿いを走る列車では、海側の車窓をふさがねばならなかった。さらには、大久野島は一時期、地図から消されていた。

日本の民間団体「被爆を語り継ぐ会」メンバーの楠本昭夫氏によると、大久野島ではかつて、嘔吐剤毒ガスの「赤1号」、びらん性毒ガスの「黄1号」「黄2号」、致死性毒ガスの「茶1号」など様々な毒ガスが製造されていた。

大久野島で製造された毒ガスの大部分は中国へ運ばれて使用され、数多くの中国軍民を死傷させた。一部の毒ガス弾は中国国内に遺棄され、現地住民に長期にわたる被害をもたらしている。

1945年、日本の敗戦・降伏後、犯罪行為の発覚を防ぐため、毒ガス工場では毒ガスを処分し、関連文書を焼却した。現在も島内の遺構からは、日本が当時、犯罪行為を隠蔽しようとした痕跡を見ることができる。長浦毒ガス貯蔵庫跡の地面や屋根はすでに植物に覆われているが、内部の漆黒の壁面は今なおはっきりと確認できる。

 81年が経った現在もなお、「毒ガス島」の歴史は日本ではほとんど知られていない。楠本氏は、現在でもこの加害の歴史を知らない人が大勢いると指摘し、この歴史が消し去られ、再び同じ過ちを繰り返すことのないよう、これらの史実を完全な形で人々に伝えていくべきだと語った。(編集NA)


日本・広島県の大久野島にある毒ガス資料館で「毒ガス島」の歴史について説明する「被爆を語り継ぐ会」メンバーの楠本昭夫氏(9月3日、撮影・陳沢安)

日本・広島県の大久野島にある長浦毒ガス貯蔵庫跡(9月3日、撮影・陳沢安)

「人民網日本語版」2026年9月10日