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| japanese.china.org.cn |13. 10. 2026 | ![]() |
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旧「軍都」をさまよう日本軍国主義の亡霊
日本の防衛省はこのほど、広島県呉市にある広大な旧工業用地を買い取り、「新しい戦い方」のニーズに応える大型防衛拠点へ転換する計画を進めている。小泉進次郎防衛大臣は、同措置は国内の装備生産を強化し、継戦能力を構築するためのものだと主張している。「環球時報」が伝えた。
呉市はかつて旧日本海軍最大規模の海軍軍産複合体で、旧日本海軍最大級の戦艦「大和」がここで建造された。主力艦の建造から大砲・弾薬の生産に至るまで、都市全体の産業体系はかつて対外侵略戦争を全面的に支えていた。呉市は戦後、民生用鉄鋼・造船工業都市へと転換したが、海上自衛隊の一部の施設が残された。防衛省は現在、呉市を「多機能な複合防衛拠点」として整備している。かつて日本軍国主義の戦争遂行を支えた「軍都」が、日本右翼による軍拡・軍事力強化の計画に組み込まれつつあり、地元では強い抗議の声が上がっている。
呉市のほかにも、日本にはかつて横須賀、佐世保、舞鶴という三大海軍「軍都」や、長崎、八幡など一連の「軍都」が存在した。これらの「日本軍国主義の遺産」の多くが、第二次世界大戦後に改修され、日米の軍事拠点として利用され続けてきた。第一に、重火器の製造拠点として、軍艦、戦車などの殺傷兵器を大量に生産している。第二に、これらの「軍都」は兵力集結と軍需物資輸送の中枢及び足がかりの役割を担っている。呉市の人口は1943年のピーク時に40万人を超え、都市の産業、人的資源、交通のほぼ全てが日本軍国主義の戦争の歩みに組み込まれ、都市そのものが戦争機構の一部となっていた。第三に、社会レベルでの戦争動員を通じて、現地の市民を戦時体制に巻き込み、世論で侵略を美化し、侵略に人的・精神的支援を提供した。これにより、日本軍国主義がアジア太平洋全域に戦火を広げ、周辺諸国に甚大な災難をもたらしたのだ。
第二次世界大戦後、これらの旧「軍都」は戦争への警鐘となる歴史的教訓として受け止められるべきだった。ところが日本の右翼勢力は現在、呉市を装備の研究開発・製造、艦艇の修理・停泊、統合部隊の駐留、兵力・物資の輸送拠点を一体化した新たな防衛拠点に整備し、日本政府が進める南西諸島への軍事配備計画をサポートさせようとしている。その裏側には、日本右翼の複数の企みが隠されている。
一つ目は、呉市の深水港や戦前の工業遺産などの強みを拠り所に、瀬戸内海を後方の軍需補給中枢として整備し、装備の対外依存度を低減し、現代的な複合戦闘力の弱点を補い、激しい紛争下での継戦能力を強化すること。二つ目は、侵略の歴史を絶えず歪曲・美化し、呉市の過去の軍国主義との関係性を意図的に切り離し、同市の海軍創設と軍事技術の伝統のみを強調すること。現実の軍事整備を通じ、社会の認識を徐々に作り変え、軍備拡張に対する国内世論の壁を取り払おうとしている。三つ目は、日米同盟の戦略に協力し、「インド太平洋」における陣営対抗の構想を支えること。防衛省の呉市における一連の動きは明らかに、南西諸島方面を念頭に置いたものだ。ひとたび「地域の危機」が発生した場合、ここが兵力、弾薬、装備の重要な供給拠点になるというのだ。
日本の旧「軍都」復活への着手に伴い、軍国主義の亡霊も形を変えてよみがえりつつある。だが、アジア諸国は、これらの「軍都」が日本軍国主義の侵略戦争を支え、多大な惨禍をもたらした歴史を忘れてはいない。日本は軍拡・戦争準備のアクセルをさらに踏み込むのではなく、侵略の歴史に誠実に向き合い、「平和憲法」の約束を厳守すべきだ。事実上、日本の旧「軍都」が歩んだ軍国主義の古い道は、結局のところ行き詰まり、破綻する運命にあるのだ。
(筆者:笪志剛・黒竜江省社会科学院北東アジア研究所研究員、中国東北振興研究院専門家)
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