香港返還十周年が間近に迫ったこの間において、イギリスのサッチャー元首相は香港問題やかつての中国政府との交渉を振り返った。サッチャー女史は「香港の租借条約を更新しなかったとは、残念であった。しかし、当時はもう交渉の余地はなかった。香港返還の日、私は確かに悲しかった」と語った。サッチャー女史が公開の場で香港返還に言及したことは今回が初めてのことであり、5年いらい初めてメディアの取材に応じたことでもあった。
「一国二制度」はチャンスである
「中国政府と香港問題について話し合った初期、イギリスは「条約の更新」、つまり、香港をイギリスの管轄下に置き続けることを目指していた。しかし、それは不可能であった。鄧小平氏は『一国二制度』を打ち出した。これは香港の特殊性を保つためのチャンスであった。『一国二制度』は香港についての交渉が行われる前に打ち出されたものであるが、それは最初、台湾問題を解決するための中国政府の考え方であった。結果的には、それが香港問題を解決するために使われた」とサッチャー元首相は語った。鄧小平氏について、サッチャー女史は「私は鄧小平氏の英知に感心している」と語った。
悲しかったが、不安にはならない
中英両国の交渉の結果によると、香港は1997年に中国に返還し、香港の制度は50年にわたっても不変となった。1997年6月30日の大雨の中で、イギリスは香港を中国に返還した。
「その大雨を覚えていますか」と聞かれ、サッチャー女史は「はい。(その日)、本当に悲しかった」と答えた。しかし、サッチャー女史は「イギリスの人々は香港の返還について執着してはならない。なぜなら、中国はその時、すでに香港を復帰させる時期にきていた」と語った。
「チャイナネット」 2007年6月20日