古代“シルクロード”は南、北、中央の3ルートに分かれて新疆ウイグル自治区を横断していた。あたかもネックレスのように、その真珠の1粒ひとつぶが、中原文化の西域への伝播、東西文化の交流を示している。 この土地で生活・労働してきた各民族は、古代西域に壮麗で偉大、独自の特色を備えた歴史と文明をともに創造した。自治区内に残る建築物跡、長い時間を経た古墓群、保存が完ぺきなミイラ、多様な芸風を見せる石窟の壁画、全区に点在する石岩彫刻、歴史資料として価値の高い文献や木簡、極めて優美な絹織物、多種にのぼる古生物の化石、独特の風格をもつ民族の古代建築、地方色に富む数々の石器や陶器、銅器、木器、ガラス器物、貨幣などはいずれも歴史的、文化的に内包する意味は深くかつ独特で、新疆や“シルクロード”沿いの歴史や文化を研究する内外の学者にとっては貴重な宝庫だ。
今世紀に入って、新疆での考古学作業は、その大きな魅力と潜在力で強い関心を集めている。
19世紀末以降、清朝政府が腐敗したため、帝国主義列強が中国を侵略した際、新疆の文物も次々と略奪・破壊に見舞われた。国外の多くのいわゆる“探検家”や“学者”は様々な目的を抱き、様々な旗を掲げながら新疆に入り、いわゆる“調査”や“探検”すると同時に、欲しいままに古墓を盗掘し、貴重な文物を略奪し、持ち運べない壁画を破損させた。
また天山やアルジン山、崑崙山麓、タリム盆地、ロブノール湖などを“調査”。クアルや孔雀河、トルファン、クチャ、ホーテンでは「丹丹烏力克」や「尼雅(ニヤ)」「安迪爾」「米蘭(ミーラン)」「楼蘭(ローラン)」「蘇巴什」「高昌」などの著名な遺跡を盗掘したほか、大量の貴重な文物を発見し持ち去った。さらに何度も新疆を訪れ、砂漠の奥深くに入り、廃墟をあさり、古墓や寺、石窟を調査して測量し、盗掘して略奪したため、新疆の数多くの貴重な文物は破壊され、持ち去られてしまった。
1930年代、黄文弼氏をリーダーとする考古学チームが新疆を訪れてゴビに入り、天山の南北をくまなく歩き回って調査を実施。わが国の考古学者による調査はこれが初めてで、有益な貢献を果たした。
中国科学院考古研究所は1956年に各民族を含む人材の養成を支援、新疆に初めて専門の研究機関と考古学チームが誕生した。これ以来、新疆で文物事業がスタートすることになる。1953年後は、1957年にも大規模な調査が行われている。
李遇春氏率いる新疆考古学チームは1959年、極めて劣悪な条件の下で、ニヤ地区で調査を行い、後漢時代の墓群を発掘後、珍しい文物が大量に出土した。その後、志ある大学卒業生が新疆に志願したことで、考古学作業は本格化していく。
「チャイナネット」2002年8月5日