中国が7年間待ちに待った北京五輪の開幕まであと5日。この7年を振り返り、北京の変貌ぶりを辿ることは、7年前にあれこれ五輪に想いを馳せたことと同様、極めて興味深い。北京の日刊紙「京華時報」が伝えた。
北京五輪の開催がなかったとしても、北京の発展は必然的事実だったろう。しかし、この超ビッグイベントが決まり、この新しい目標が誕生したおかげで、北京の変貌ぶりもより鮮やかなものとなった。
▽変わったもの、変わらないもの
7月19日、北京地下鉄10号線が開通した。余明(仮名)さんは開通をやや冷めた気分で迎えた。
余さんの自宅は10号線の太陽宮駅そばの団地にある。団地の南門を出て4百メートル足らずで地下鉄駅に着く。
しかし、地下鉄駅の西側約3百メートルのところにあるサッカー場2コート分ほどの大きさの土地はまだ整備されていない。
この土地は現在、囲いで遮られている。
余さんが今の住まいを購入した4年前、囲われた場所には大型スーパーやホテルができると販売担当者から説明を受けていた。
もちろん五輪開催前のことだ。販売担当者の言葉は実現しなかったが、余氏は「この広い北京のこと、中には予定通り順調に進まない工事もあるだろう」と自分を納得させるしかなかった。
余さんとは正反対の経験をしたのは、北京北汽九竜タクシー会社のタクシー運転手・樊玉勝さんだ。樊氏はほぼ1日中、北京の変化を肌で感じ取っている。
樊氏はタクシー運転手になる前は、北京にあるサッシ枠の窓を作る工場で働いていた。工場で製造される旧式の前後開閉式の窓はかつて、北京で最も早く建てられた高層ビルに備え付けられていた。そんなある時、樊さんは西第2環状道路沿いの住居ビルの外壁がいつの間にか新しく塗り替えられ、すべてのサッシ枠の窓が、新型のアルミニウム合金製窓に取り換えられているのを見つけたのだった。
毎日朝刊と夕刊を読む樊さんは時事に詳しく、「窓の取り換えは全費用が政府負担によるもの」ということを知っていた。
そして現在、タクシー運転手となった樊さんにとって最も印象深いことは、東第4環状道路沿いに賑やかな一帯が増え続けていることという。「青年路は2005年から2006年までにはまだ田舎で、客を乗せて行っても、帰りの乗客はほとんどなかった。今や団地は増えすぎた」と感想を漏らしている。
ここ数年の都市新計画と新築のラッシュは、五輪と密接な関係にあると見られている。
これらの変化がかつて熱烈に期待されたのは、北京が初めて五輪招致を申請した1991年のことだった。(編集KM)
写真:外観改造によって生まれ変わった西第2環状道路沿いの旧式ビル
「人民網日本語版」2008年8月4日
|