五輪建築に関する論争が繰り返される一方、比較的小さな計画や建築は、少しずつ確実に北京を変えていった。2006年に北京市西第2環状道路の整備作業がスタート、沿線の旧式ビルは新しく塗り替えられ、全く新しく生まれ変わった。住居の窓は無料で2層ガラスのアルミニウム合金窓に交換され、あらゆる広告看板は計画に基づき一新された。
北京市城規画協会の趙知敬・会長は、「街道(通り)に対する計画設計はこれが初めて」と語る。
趙会長は建国50周年(1999年)時に、北京のメーンストリート「長安街」の総合整備を担当したことがあるが、「五輪開催に向けて実施する街道設計は、当時の長安街整備に比べより力が入っている」との印象を述べた。
その後、西第2環状道路の整備方案が推し進められ、北京の街道にさらに秩序がもたらされた。
旧市街区域の胡同(路地)も変わりはじめた。7月初め、東城区にある大経廠胡同西巷23号では、住宅全体が全面改装され、居住者が新居の片づけを行っていた。
住民の劉さんは新居について、「元の家を復元した感じだ」と語る。住まいの広さは変わらないが、床は10センチ高くなり、壁の厚みも増したという。
大経廠胡同は北京の中軸線東側にあり、西へ曲がると中軸線に至り、まっすぐ北へ進むと「鳥の巣」(国家体育場)とオリンピック公園に着く。その道中、古いもの、現代的なもの、そして自然に出会うことができる。
「鳥の巣」から胡同にいたるまで、すべてが変化の波を受けた。
前出の趙知敬・会長は、「五輪は北京の都市発展を推進した」と語る。
かつて、これは予言にすぎなかった。
「人民網日本語版」2008年8月4日 |