北京五輪で、中米女子バレーボールの「平和の戦い」は、中国の敗北でピリオドが打たれた。かつて中国女子バレーボールのために輝かしい歴史を創り出した「鉄製のハンマー」といわれた郎平さんが今回はアメリカチームのコーチとなっており、アメリカ女子バレーボールのチーフコーチとして中国女子バレーボールチームと競技場で相ま見えることになった。
1984年8月7日、ロサンゼルスで開かれた第23回オリンピック大会で、中国女子バレーボールチームはアメリカと対戦し、一位を奪い合った。中国女子バレーボールチームは困難を恐れず勇敢に立ち向かうファイトと優れた球技で、決勝で16:14、15:13、15:9で連勝し、アメリカ女子バレーボールチームに打ち勝ち、世界女子バレーボール大会の最高の栄誉――「三連覇」をものにするとともに、中国のために14個目の金メダルをもぎ取った。当時、『中国青年報』紙は社説を発表し、「彼女たちは東京で第1回世界チャンピオンの表彰台に上った際、『三連覇』の目標を目指すことになった。このような大志を抱く精神はさまざまな業種、さまざまな分野でも同じことで、しかもそうあるべきである。中国が対外開放の政策を実行し、経済改革に力を入れている目的はどこにあるのか?とりもなおさず中国の特色を持つ社会主義を建設し、各分野でより多くの世界一を創り出さなければならない、ということである」と述べた。2008年8月16日、「平和の戦い」での敗退について、『中国青年報』紙が掲載した論評員の文章は、中国国民のかなり落ち着いた心理状態を示しており、次のように指摘している。オリンピックはもともと各国のスポーツ選手がスポーツの競技の魅力を見せるための舞台であるだけで、国と国がたたかう戦場ではない。競技の成敗と勝ち負けは実のところ国益とも無関係であり、民族の名誉を台なしにすることにもならない。この点はすでにますます多くの人びとのコンセンサスとなっている。
中国では、中国女子バレーボールはかつて神話のようなものを内包するものとなり、前世紀80年代における中国女子バレーボールのワールドカップでの優勝やそれ以後の「三連勝」はあらゆる中国人を晴れ晴れした気分にし、意気揚々となり、バレーボールをすることはすでに全く女子バレーボールチームのメンバー個人のこと、個人の行為ではなく、国にとっての一大事となってしまった。
1981年11月16日の夕方、第3回女子バレーボール・ワールドカップ決勝が行われた。その時の試合では中国チームが実力の非常に強いホスト国の日本チームと対戦することになった。数多くの観客の心はすべて競技そのものに強くとらえられ、苦戦となった。ホームグラウンドのファンたちの耳をつんざくような応援の声の中で、中国女子バレーボールチームは3:2で辛勝した。最後のボールで試合終了へ持ち込んだ一瞬、中国女子バレーボールの選手たちは抱き合って、喜びの涙を流した。
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